
©2024 VIDEOFILMES / RT FEATURES / GLOBOPLAY / CONSPIRAÇÃO / MACT PRODUCTIONS / ARTE FRANCE CINÉMA
『アイム・スティル・ヒア』軍事政権の圧政に対抗した、母と家族の物語
2025.08.13
笑顔の写真
エウニセは釈放され家に帰るが、政府によって劣悪な環境に置かれ、自身の尊厳を汚された経験を洗い流すように、シャワーを浴び猛烈に体をこする。この場面では、圧政による思想の取り締まりが、いかに精神と肉体に苦痛を与えるかということを悲痛に表現している。主演を務めたフェルナンダ・トーレスの両親もまた、実際に軍事独裁政権によって当局の拷問施設に拘留された経験があるのだという。彼女の演技は、そんな両親の記憶を追うものでもある。
家族への当局の監視が継続されるなか、エウニセはルーベンスの行方を独自に追うようになってゆく。さまざまな調査や駆け引きのなかで、わずかな手がかりを得るものの、夫の状況は依然として分からない。誰もが政府を恐れ、協力するわずかな者たちも一様に口が重い。
この時代、軍事政権による拷問と殺害が繰り返され、犠牲者は2万人以上にものぼったのだという。そしてルーベンスのように、数百人が行方不明となった。時間が経つにつれ、ルーベンスは亡くなっているのではないかという疑いが濃くなってゆく。この状況が残酷なのは、情報が隠蔽され、“家族が生きているかもしれない”というささやかな希望が漂い続けることで、いつまでも諦めることができないという点である。死を悲しみ、前に進むことも許されないのだ。
『アイム・スティル・ヒア』©2024 VIDEOFILMES / RT FEATURES / GLOBOPLAY / CONSPIRAÇÃO / MACT PRODUCTIONS / ARTE FRANCE CINÉMA
そんな悲劇の家族を取材した記者は、残された家族の写真を撮影しながら、「笑わなくていい」、「笑顔じゃない方がいい」と指示する。家族を理不尽に奪われた者たちがにこにこと笑っていたら、記事のイメージから離れてしまう。ここでエウニセは、子どもたちに「笑って!」と呼びかける。
悲しい事態に直面したとしても、被害者はいつでも暗い顔をしているというわけではない。ここで精一杯の笑顔を浮かべ、“私たちは、まだここで幸せに生きている”という姿を社会に見せつけることで、エウニセは家族を破壊した暴力に、せめてもの抵抗を試みるのである。ウォルター・サレス監督は、フェルナンダ・トーレスが演じるエウニセの泣くシーンを、最終的にほとんどカットしたという。それは、本作の最後に紹介される、このときの実際の写真の力に感銘を受けたからだろう。
本作が描くのは、あくまで家族の物語であり、一人の女性の物語だ。圧政を強いる政府に対し、抵抗する力も持ち合わせていないし、真相に近づく手段も限定的である。ゆえに、凄惨な事件を題材にしつつも、長女ヴェロカが撮影する「スーパー8」による「ホーム・ムービー」のように、本作は家族の光景を映し続けるしかない。だからこそ、エウニセが静かな力で社会に一矢報いようとするこの瞬間は、本作のハイライトといえるものとなっている。