1. CINEMORE(シネモア)
  2. 映画
  3. ぼくら、20世紀の子供たち
  4. 『ぼくら、20世紀の子供たち』ワレルカとガリーヤ、ふたりの2つの分かれ道
『ぼくら、20世紀の子供たち』ワレルカとガリーヤ、ふたりの2つの分かれ道

『ぼくら、20世紀の子供たち』ワレルカとガリーヤ、ふたりの2つの分かれ道

PAGES


2人の2つの分かれ道、千年の秋



 『動くな、死ね、甦れ!』と『ひとりで生きる』の主演俳優パーヴェル・ナザーロフが刑務所のシーンに登場する。実際のストリート・チルドレンであり、小さい頃から盗みを働いていたナザーロフは、囚人として刑期を務めている。正直なところ、ナザーロフが人を殺めていないことにひとまず安心する。登場当初ぎこちなかったナザーロフが、すぐにカメラの前に立つ感覚を取り戻していくのが伝わってくる。十代のナザーロフは間違いなく優れた被写体・俳優であり、カリスマ性があった。いまナザーロフと共に刑期を過ごすのは本物の殺人者たちだ。「怖くないか?」というカネフスキーの質問に、ナザーロフは「外で何やろうと、ここじゃ関係ない」と答える。ここでどう生きるかがすべてだと。5歳の頃から自活していたナザーロフ。カネフスキーのオルター・エゴとしてカンヌ国際映画祭で評価を得たナザーロフ。カネフスキーは2010年のトリノ国際映画祭で、ナザーロフの最新ドキュメンタリー作品を撮っている。何らかの罪で再び刑務所にいたナザーロフが、出所したタイミングで撮られた作品だ(筆者は未見)。以後の詳しい情報は見当たらない。


 『動くな、死ね、甦れ!』のガリーヤ、『ひとりで生きる』のワーリャを演じたディナーラ・ドルカーロワが刑務所内でナザーロフと再会するシーンは、激しく胸を打つ。2人の抱擁はメロドラマ的な瞬間に溢れている。フィルムに凍結されていた記憶が“甦る”。『動くな、死ね、甦れ!』における、2人の顔がフレームいっぱいに収まったアップのショット。2人で線路を歩きながらで歌ったこと...。ドルカーロワは、オタール・イオセリアーニ監督の友人パスカル・オビエの作品に出演して以降、『コンパートメントNo.6』(21)等、国際的な俳優として現在も活躍している。



『ぼくら、20世紀の子供たち』


 ふたりの2つの分かれ道。『動くな、死ね、甦れ!』の線路は、ここではないどこかへ向かう“旅立ち”の可能性を示していた。ナザーロフとドルカーロワはまったく対照的な道を歩んでいる。シアトルのストリート・チルドレンを描いた鮮烈なドキュメンタリー映画『子供たちをよろしく』(84)と、その続編『Tiny : The Life of Erin Blackwell』(16)の関係のように、地獄を抜けたらまた別の地獄が待っているのだとしたら、こんなに辛いことはない。ストリート・チルドレンだったカネフスキーは、映画を作ることで自分の人生に折り合いをつけた。いつかナザーロフが、何らかの形で自分の人生に折り合いをつける日がくることを心から願っている。


 カネフスキーの伝説的な3部作に共通しているのは、だんだん何が“正しい”のか分からなくなっていくことだ。価値観が揺さぶられる。意識に刃が向けられる。描かれている世界に自分の価値観を当てはめてしまうことの“特権性”に疑問を向けざるを得なくなる。ギャング団のボスと思われる青年は、ソ連崩壊の時代を次のように語っている。「今は世紀末さ。それも“千年の秋”。秋は収穫の時だ。過去の善と悪が両方実る」。善の華と悪の華が同時に華開く“未開拓”の時代。次の時代をどうやって共に作っていくのか。『ぼくら、20世紀の子供たち』は、20世紀が残した課題に蓋をしてはならないと主張する。いまこそ忘れられようとしている子供たちに光を当てよう。この作品は決して遠いどこかの国の話ではないのだ。


*「ヴィターリー・カネフスキー トリロジー」パンフレット



文:宮代大嗣(maplecat-eve)

映画批評。「レオス・カラックス 映画を彷徨うひと」、ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、リアルサウンド、装苑、otocoto、松本俊夫特集パンフレット等に論評を寄稿。




『ぼくら、20世紀の子供たち』を今すぐ予約する↓





作品情報を見る



『ぼくら、20世紀の子供たち』

「ヴィターリー・カネフスキー トリロジー」

ユーロスペースほか全国順次ロードショー中

配給:ノーム

PAGES

この記事をシェア

メールマガジン登録
  1. CINEMORE(シネモア)
  2. 映画
  3. ぼくら、20世紀の子供たち
  4. 『ぼくら、20世紀の子供たち』ワレルカとガリーヤ、ふたりの2つの分かれ道