
©-MACT PRODUCTIONS-LE SOUS-MARIN PRODUCTIONS-INA-PANTHEON FILM-2024
『ミシェル・ルグラン 世界を変えた映画音楽家』永遠に若返る巨匠の肖像
2025.09.22
駄々をこねる天才マエストロ
監督を務めるデヴィッド・ヘルツォーク・デシテスは、ミシェル・ルグランより40歳も年下。映画業界で働き始めたときから、彼の映画を撮ることは大きな夢だった。2017年に初めて対面したとき、「私が存在するのは、あなたと『華麗なる賭け』のおかげです」と伝えると、彼は笑いながら「それは素晴らしいね。あの曲を書いたことを、ますます誇らしく思うよ」と答えてくれたという(*)。やがて祖父と孫ほど年の離れた2人は親交を深め、ドキュメンタリー制作へと繋がっていく。
ここには、世代を超えた映画人と音楽家の幸福な邂逅がある。師弟関係ではなく、偶像と信奉者でもない。ひとりのクリエイターがもうひとりのクリエイターを全身でリスペクトし、その姿を記録に残そうとする。ドキュメンタリー全体を貫くのは、その透明な尊敬の眼差しだ。
デシテスはまず、ルグランの順風満帆なアーティスト・ライフを駆け足で辿る。彼の音楽人生は、1947年にディジー・ガレスピーがパリで行った公演から始まった。初めてビバップに出会い、即興性に基づく新しい音楽の喜びに心を奪われる。24歳で発表したジャズ・アルバム『I Love Paris』は大ヒットとなり、その才能は早くから世界に認められた。
『ミシェル・ルグラン 世界を変えた映画音楽家』©-MACT PRODUCTIONS-LE SOUS-MARIN PRODUCTIONS-INA-PANTHEON FILM-2024
フランス映画史においてルグランの名を不滅にしたのは、ジャック・ドゥミとの出会いから。『シェルブールの雨傘』をミュージカルにしようと最初に提案したのは、実はルグラン自身だったという。『ロシュフォールの恋人たち』では、アメリカのミュージカルの華やかさをパリジャン流に翻案し、映画と音楽の幸福な結婚を実現。彼は映画音楽家という枠を超え、映画そのものの文法を刷新したのだ。
その偉業を讃える一方で、デシテスは決して主人公たるルグランを美化しない。インタビューに応じた人々は口をそろえて、彼が扱いやすい人物ではなかったと証言する。「ベースをピアノに叩きつけて出ていってやろうと思った」だの、「彼の態度は間違っていることが多い」だの言われ、『愛と哀しみのボレロ』(81)で一緒に仕事をしたクロード・ルルーシュ監督からは、「殴ってやろうかと思った」という物騒なコメントまで飛び出す。
確かにリハーサルでは、「なぜ誰も責任をとらない!」「なぜやってない!」「何もしないで見てる気か?」と怒鳴り散らしているマエストロの姿が映し出される。誰からも愛される人格者のジョン・ウィリアムズとはえらい違いだ。とはいえ、周りを恐怖で怯えさせ、威圧している様子も感じられない。妙に甲高いハスキー声なものだから、音楽と同様に軽やかで可愛らしい雰囲気になってしまう。むしろそれは、幼子が駄々をこねている様子に似ている。単なるわがままではなく、仕事に対する徹底したこだわりの表れなのだ。
デシテスは、成功の裏に深い挫折があったことも描いている。ルグランは40歳を目前にして重度のうつ病に陥り、創作意欲を完全に失っていた。残された時間をどう生きるかを熟慮した末に、フランスに帰国し、旧製粉所を購入して家族と共に移り住む。新居でようやく心身ともに回復し、二度とハリウッドには戻らないと誓った。映画はこの時期の暗闇を隠すことなく映し出し、ルグランを単なる天才作曲家ではなく、苦悩する人間として立体的に映し出す。