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『2001年宇宙の旅』キューブリックが徹底研究した作品と、集められたスペシャリストたち

『2001年宇宙の旅』キューブリックが徹底研究した作品と、集められたスペシャリストたち


英国MGMスタジオ



 すでにそのころ英国では、ウォーリー・ヴィーヴァースとトム・ハワードという2人の大物スーパーバイザーに、カナダから来たジェントルマンが加わって、『2001年宇宙の旅』の特撮作業がスタートしていた。


 ヴィーヴァースは、『来るべき世界』(1936)、『アラビアのロレンス』(1962)、『史上最大の作戦』(1962)、『博士の異常な愛情』(1964)などを手掛けた人物で、ミニチュアと特撮カメラマン、マットペインティングなどの専門家である。今回は、ディスカバリー号を始めとする各種ミニチュアの制作と撮影を中心に担当した。このチームに助手として加わったのがブライアン・ジョンソン(*6)である。彼は、テレビシリーズの『 サンダーバード』(1965-66)で第二班特撮監督を務めていた人物だった。


 ハワードは合成技術に関する大ベテランで、ブルーバック合成という手法も彼が『バグダッドの盗賊』(1940)の時に開発したものである。他にも『陽気な幽霊』(1945)、『親指トム』(1958)、『怪獣ゴルゴ』(1961)、『荒鷲の要塞』(1968)などを手掛けてきた。彼は今回、冒頭の猿人シーンを主に担当しており、ロケを嫌ったキューブリックのために、スタジオに完全なアフリカの荒野を出現させた。ここでハワードが採用した手法が、フロント・プロジェクションである。光源の入射方向にのみ高い反射率を持つ再帰性反射スクリーンを背景とし、役者の正面から映像を投影する方式で、実用化されたのは1952年だが、これほど大規模に用いられたのは初めてだった。ちなみに投映されている映像は、アフリカの風景を8×10インチの大判スライドフィルムで撮影したものだった。リアルな猿人の特殊メイクは、スチュワート・フリーボーン(*7)が手掛けている。




 途中参加となってしまった米国チームは、宇宙船内のモニター用グラフィックスなどを手掛けた。さらにグラフィックフィルムズで培ったノウハウを 活かして、宇宙空間を行き交う人工衛星や 天体(*8) の映像も彼らが担当した。これらは、スチル写真をアニメーションスタンドで動かしているだけだが、そうとは思えないリアリティがある。


 このチームのスーパーバイザーはジェントルマンとペダーソンだったが、やがてトランブルがあらゆる部署にアイデアを提案するようになっていく。そして彼が大きく注目されたのが、スターゲートの表現だった。当初この場面は、美術監督のアンソニー・マスターズらが、鏡とライトを組み合わせたトンネルのセットで実験していたが、キューブリックのOKが出なかった。そこでトランブルは、スリットスキャンの実験を行ってキューブリックに見せ、大がかりな撮影装置の開発許可をもらった。スリットスキャンは、スリットの背後に透過光像をセットし、シャッターを開放にしたままカメラのトラックアップを繰り返すことで作られる。すると透過光像にパースが付いた、無限に続く廊下のような空間が生ずる。このアイデアは、元々グラフィックフィルムズのアドバイザーを務めていた、実験映画作家/モーション・グラフィック・アーティストのジョン・ウィットニーの発明が基になっていた。だがキューブリックはこの成果を大きく称え、トランブルの役職を特撮スーパーバイザーに引き上げている。


*6:ブライアン・ジョンソンは、『エイリアン』(1979)や『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』(1980)のSFXスーパーバイザーも担当している。
*7:フリーボーンは、ヨーダのパペットやチューバッカの特殊メイクも手掛けた。
*8:ただし木星だけは、スリットスキャン技術を反射光に応用し、空間に球体を出現させた“ジュピターマシン”で描かれている。


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