2025.09.25
育ちの異なる兄弟が見出す”音楽”という共通言語
片方はプロであり、専門はバリバリのクラシック音楽。率いるのは最高峰のオーケストラ。もう片方は地方のアマチュア・ブラスバンドで、メンバーは各々が音楽とは全く別の仕事を持つ。演奏するのは庶民的なレパートリーばかり。そこには様々な面で隔たりがある。
しかし、”音楽”という共通言語を発見した彼らの間で、関係性が後退することはない。むしろこれを糸口として、二人はギクシャクしながらも長年の溝を埋め合うように距離を縮めていく。
その上、兄は、弟が持つ音楽的才能を伸ばす道はないものかと考え、さらにはブラスバンドが陥った解散寸前の危機を救おうと、忙しい合間を縫って掛け持ちで懸命に指導する。
もともと、この地には炭鉱産業が栄え、ブラスバンドはここで暮らす人々に心の高揚をもたらす無二の存在だった。しかし今や炭鉱は閉山し、近隣の企業や工場も衰退、楽団どころか地元社会そのものが危機に瀕している状況だ。
こうして本作は、英国の名作『ブラス!』(96)などを彷彿とさせる展開をはらみながら、音楽、社会、そして人間の尊厳にも及ぶストーリーを奏で上げていく。
『ファンファーレ!ふたつの音』© 2024 – AGAT Films & Cie – France 2 Cinéma
クールコル監督ならではの「教える」が導く効果
この映画の脚本・監督を務めるエマニュエル・クールコルといえば、脚本家としてセザール賞候補となった『君を想って海をゆく』(09)をはじめ、その代表作では、立場や状況の異なる主人公を対峙させる作風が際立つ。
妻と離婚した水泳コーチが、ふとしたきっかけで難民の少年のために知識と経験を活かそうとしたり(『君を想って~』)、刑務所の更生プログラムの一環として俳優が演劇をレクチャーしたり(『アプローズ、アプローズ!囚人たちの大舞台』/20)。教える、伝える、もしくは自分にしか見えない景色を相手と共有しようとする行為は、クールコル作品においてどこか大切な意味を持っているように思える。
当然ながら、「教える」は一方的ではなく、双方的なものであり、教える側も相手から確実に何かを学んでいる。そうやって生じた相互作用が相手への共感の思いを深め、同時に自らのスペシャリティや人生についても再発見、再評価、再出発する機会を得て、結果的に以前とは全く異なる意識の扉へと到達することを可能とする。
こうした一つの場所にとどまらない生き方は、もともと俳優としてスタートしながら、脚本家、そして監督へと、常に新しい風景を求めて歩み続けてきたクールコル自身の生き方とも大いに共通しているのかもしれない。