2025.10.10
芸術家の瞳、カフェにおける“交差”
“芸術家の瞳”というテーマは、水兵であり画家であるマクサンス(ジャック・ペラン)の歌詞によく表わされている。「名前をつけて声を想像する/幻の姿をデッサン、顔を思い描く/その肖像画は愛のイメージ」。抽象画の画家であるマクサンスが、ただ一枚だけ描いた具象画は、まだ出会ったことのない女性の肖像画だ。マクサンスは自分が描いた絵の女性に恋をしている。それはソランジュの双子の妹デルフィーヌ(カトリーヌ・ドヌーヴ)によく似ている。しかしマクサンスは彼女が「遠くにいるのか近くにいるのか」分からずに探し続けている。またソランジュとデルフィーヌの歌詞にも、シングルマザーであるイヴォンヌ(ダニエル・ダリュー)が姉妹を芸術家として育てたことが歌われている(ダニエル・ダリューは本作で唯一自分の声で歌っている)。ソランジュは音楽家、デルフィーヌはダンサーである。ロシュフォールで行われるフェスティバルのために到着した旅芸人のエティエンヌ(ジョージ・チャキリス)とビル(グローバー・デール)の2人組や、ピアニストのアンディ(ジーン・ケリー)をはじめ、『ロシュフォールの恋人たち』の主要となる登場人物は芸術家であり、すべての登場人物が理想を追いかける空想家のように見える。本作はすべての空想家、ロマンチストに捧げられた映画といえる。ジャック・ドゥミは人々の主観=心が捉えた色彩、口ずさんだメロディの中に、思いがけない真実を発見していく映画作家なのだ。
『シェルブールの雨傘』(c)Photofest / Getty Images
ジャック・ドゥミは生まれ育った港町ナントのイメージをロシュフォールの風景に重ねている(どこに行ってもナントの風景を探してしまうのだという)。かつてナントは、“西のヴェネチア”と呼ばれていたこともあるそうだ。水辺がもたらす流動性。港町は物流だけでなく、人々の“到着”と“出発”が頻繁に繰り返される舞台である。そして長編デビュー作『ローラ』(60)の舞台となった、ナントの美しい歴史的建築物パッサージュ・ポムレこそが、ジャック・ドゥミの創作の原点にある。人々の出会いと別れが交差するパッサージュ・ポムレ。『ロシュフォールの恋人たち』においてパッサージュ・ポムレにあたるのが、イヴォンヌが経営するカフェといえる。登場人物たちはカフェに集い情報交換をするが、それぞれの出会いたい人とは出会えない。いつまでも“譜面”が完成しない。すれ違い続ける。ガラス張りのモダンなカフェの外では、フェスティバルのステージが建設中だ。建設中という段階が、なんともこの映画らしい。ステージはお祭りが終われば取り壊されてしまう。
ジャック・ドゥミが地方のロケ撮影にこだわるのは、過ぎ去っていく風景をフィルムの中に留めるためなのだろう。それは幸福をフィルムに留めることに等しい。ジャック・ドゥミは「眠れる森の美女」のように魔法をかける。町を“眠り”から覚ます。そして幸福を守るために映画を撮る。
傑作短編ドキュメンタリー作品『ロワール渓谷の木靴職人』(56)を撮ったときのように、ジャック・ドゥミは失われていく風景や職人の技術をフィルムに留める。ハリウッドのミュージカル映画が衰退していた1967年にこの映画を発表すること自体が、既に反時代的な行為だったといえる。更にこの映画は、ロシュフォールの“町おこし映画”でもある。『シェルブールの雨傘』の狂騒のカーニバルシーンに地元民を招いたように、『ロシュフォールの恋人たち』のコルベール広場で開かれたフェスティバルには、地元民が多数出演している。ロシュフォールには、本作を記念する「ジャック・ドゥミ通り」と名付けられたストリートが存在する。