2025.10.16
“私たちの敵は私たち自身である”
キャスリン・ビグローは長年にわたって、アメリカという巨大国家が抱える制御不能な暴力装置を描いてきた。『ハート・ロッカー』では戦場のアドレナリン依存を、『ゼロ・ダーク・サーティ』では情報の暴走を、『デトロイト』では制度的暴力の構造を。そして今度は、ボタンひとつで世界を終わらせる核装置そのものが、物語の焦点となる。
インタビューの中で、ビグローは「今、私たちが最優先で取り組むべきテーマは核拡散防止です」(*2)と語っている。問われるべきは、「誰が核ボタンの引き金を引くのか」ではなく、「なぜその引き金が存在しているのか」。彼女はその構造を「私たちの敵は私たち自身である」(*3)という言葉で表現している。つまり、敵は他国ではなく、核を作り出してしまった我々と、そのシステムにあるのだと。この思想的転回こそが、映画の核心だ。
NBCニュースの社長を務めたこともある脚本家ノア・オッペンハイムとタッグを組み、彼女は「現実に存在しうる恐怖」をシナリオとして構築していく。それは、ホラー映画以上にホラーな「もしアメリカにミサイルが発射されたら?」というifワールド。当初は全編リアルタイムも検討していたというが、18分ではいくらなんでも映画として短すぎる。そこで彼女は、情報が上位者にエスカレーションしていくうちに、最終決定は18分どころか2、3分にまで短縮されてしまう現実を描いた。こっちの方がはるかにホラーだ。
Netflix 映画『ハウス・オブ・ダイナマイト』
映画は最初から最後まで、観客をほっと一息つかせる逃げ場を許さない。報復の是非を論じる余裕もないまま、指令、確認、迎撃、通信、断絶という一連の手順が、冷たく無慈悲に刻まれていく。しかもビグローは、登場するキャラクターを誰一人特権化しない。ホワイトハウスの分析官、フォート・グリーリー基地の兵士、シークレットサービス特別捜査官、国防長官、そして大統領に至るまで、全員を“同じシステムの中の部品”として配置する。カメラは感情に寄り添うことなく、むしろ感情の欠落そのものを描く。そこにこそ、ビグローが追求してきたリアリズムの倫理がある。
『ハウス・オブ・ダイナマイト』というタイトルは、哲学者サム・ハリスのポッドキャスト「Making Sense with Sam Harris」からノア・オッペンハイムが引用した一節。「我々はダイナマイトで満たされた家を建てた」ーーイドリス・エルバが演じる大統領は、劇中でこう語る。いつ点火して爆発してもおかしくない現実。7年の沈黙を経て、キャスリン・ビグローが投げかけるのは、「この世界は、まだ持ちこたえられるのか」という、あまりにも現実的な警鐘である。