2025.10.24
アメリカ文化の象徴、野球が持つ時間の流れと構造
本作を分類するなら、もちろん「野球映画」というジャンルが最適だろう。しかし世の中の同映画と違うのは、主人公と呼べる人がおらず、何らかの主軸となるエピソードも存在しないこと。それゆえ『フィールド・オブ・ドリームス』(89)や『ナチュラル』(84)、『メジャーリーグ』(89)といった作品とは根本的に異なる。
ならば何をして野球映画と呼べるのかというと、カーソン・ランド監督に言わせると、それはつまり「構造」だ。アメリカ文化を象徴するこのスポーツは、言うなれば興味深い時間のあり方によって構成される。バッターボックスに立つ順番が回ってくるまでは、ベンチで仲間の打線を見守ることもあれば、逆にチームメイトと他愛のない世間話に花を咲かせる場面も少なくない。そんなやりとりの中、仲間の快音が響いたり、自分の打席が回ってくることで急にハッと我に帰り、現実に引き戻される。かくも止まったり、動いたり。プレーにおける「時間の流れ」「空気感」が実に独特なのである。
これはある意味、カーソン・ランドをはじめ、作品の空気や雰囲気を大切に醸成する製作チーム「オムネス・フィルムズ」の面々が最も得意とするところかもしれない。

『さよならはスローボールで』Ⓒ 2024 Eephus Film LLC. All Rights Reserved.
イーファスという決め球が象徴するもの
この映画の原題でもある「EEPHUS(イーファス)」とは、今はもう試合ではあまり見られなくなった、大きく山なりの弧を描きながら、ゆっくりと落ちていく超スローボール。打者から見るとこのボールの対空時間が、一瞬のようにも、永遠に止まっているようにも感じられ、つい振るのが早すぎたり逆に振り遅れたりしてしまうらしい。つまり、本作におけるイーファスは、野球が持つ「特別な時間の流れ」や個々にとっての「過ぎ去りし時代のノスタルジー」の象徴なのだろう。
これらに加えて、本作を彩る中年男たちの心情すら、このイーファスに込められているように私は感じる。おそらく週に一度、何か特別なことが起こるわけではなくとも、草野球は彼らにとって日常を忘れさせてくれる掛け替えのない時間だったはず。あの場所、あの空気ゆえに成立したものが確かにあったのだろう。彼らを結ぶこの特殊な関係性が何か別の形で甦ることはもうない。
だからこそ、男たちはどことなく立ち去り難い表情を浮かべ、このゲームを最後まで見届けようとする。定刻になって審判が帰っていく。日が暮れる。ボールが見えなくなる。それでもまだまだゲームは続く。彼ら自身が名残惜しさのあまり、イーファスの内包する「永遠と一瞬」の中に留まり続けようとしているかのようだ。