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『さよならはスローボールで』野球が持つ「構造」そのものを、特別な場所と人、時間によって紡ぐ

Ⓒ 2024 Eephus Film LLC. All Rights Reserved.

『さよならはスローボールで』野球が持つ「構造」そのものを、特別な場所と人、時間によって紡ぐ

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 ふと思う。私たちは一体、何を観させられているのだろう。何しろスクリーンでは、先ほどからずっと中年の男たちが、ただひたすら草野球に興じているのだ。劇的な展開は起こらない。速球を投げるピッチャーも、巧妙にボールをさばく内野手もいないし、ましてや快音を響かせるホームランバッターもいない。それなのにどうして私はこのゲームにじわじわと惹かれるのか。理由はおそらくひとつ。誰も表立っては語らないが、この場にいるみんなの心の中に、一抹の寂しさがこみ上げているのを痛いほど感じるからだ。


 これはアメリカの田舎町にある古びた野球場での「最後のゲーム」に焦点を当てた物語。舞台となるのは1990年代。まもなくこの場所は取り壊され、中学校の建設が始まってしまう。


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解体の決まった球場の最後の試合に挑む男たち



 晴天の日曜日。ソルジャーズ・フィールド(野球場)にはいつものように草野球の選手たちが集まってくる。職業や年代、プレーの上手い下手は様々。ストイックに気分を高める者もいれば、試合中にこっそり飲むためビール缶を持ち込んでいる者もいる。ベンチで交わされるのは他愛もない会話。木製の観客席はまばら。試合中にはピザ屋の販売カーがやってきて、ひとしきり客寄せのアナウンスを響かせ、帰っていく。そして球場脇の定位置には、もう何十年もここで趣味のスコアブックをつけ続けている野球ファンのフラニーが、にこやかな表情で選手たちを見守る。ひとつも変わらないお馴染みの風景。だが今日が最後ーー。



『さよならはスローボールで』Ⓒ 2024 Eephus Film LLC. All Rights Reserved.


 この映画を観ながら、ロバート・アルトマン監督の遺作『今宵、フィッツジェラルド劇場で』(06)のことが頭をよぎる。珠玉の群像劇で知られるこの巨匠は、30年の歴史に幕を閉じるラジオの公開ショーの模様を、幸福感と寂寥感の入り混じった独自のタッチで味わい深く描いてみせた。『さよならはスローボールで』(24)は決して群像劇と呼べるほど緻密に織り成されているわけではないが、それでも最後を迎える「人」、「場所」、「時間」を味わい深く描き出している点では同じだ。




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