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『フランケンシュタイン』ギレルモ・デル・トロが描く、信仰と恐怖と父性のオペラ

Netflix映画『フランケンシュタイン』

『フランケンシュタイン』ギレルモ・デル・トロが描く、信仰と恐怖と父性のオペラ

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フランケンシュタインの影が宿るフィルモグラフィー



 デル・トロはずっとフランケンシュタインの物語に取り憑かれてきた。彼のロサンゼルスの自宅兼仕事場〈ブリーク・ハウス〉には、フランケンシュタイン・ホールと名づけられた部屋があり、ボリス・カーロフをはじめ、彼が守護聖人と呼ぶモンスターたちの肖像やフィギュアが壁一面に並んでいる。そこはまるで異形の神殿のよう。デル・トロにとって怪物とは恐怖の象徴ではなく、不完全さを受け入れるための祈りの対象なのだろう。


 あるインタビューで彼は「メアリー・シェリーの創造物と、私は生涯を共にしてきた。私にとってそれは聖書のような存在なんだ」(*3)と語り、また別のインタビューでは「人生の50年以上をこの物語に捧げてきた。僕の映画13本すべてに『フランケンシュタイン』の要素がある」(*4)と言い切っている。


 たしかに、彼のフィルモグラフィーを振り返れば、創造と孤独というテーマは一貫している。デビュー作『クロノス』(93)では、永遠の命を求めて禁断の装置を手に入れた男が、創造主の傲慢と犠牲の代償を体現していた。『デビルズ・バックボーン』(01)や『パンズ・ラビリンス』(06)では、疎外された子どもが怪物や幽霊の存在に救済を見いだし、異形なる者への共感が溢れていた。



Netflix映画『フランケンシュタイン』


 アカデミー作品賞を受賞した『シェイプ・オブ・ウォーター』(17)では、社会から拒絶された半魚人と孤独な女性が、互いの中に自分を見つけるという構図が、怪物と人間の境界を越えた愛として昇華され、さらに『ギレルモ・デル・トロのピノッキオ』(22)では、死者を甦らせようとする“父”と創られた“子”の関係が描かれていた。そこには、創造の行為そのものが愛の不完全な模倣であるという痛切な自覚が流れている。


 デル・トロにとって『フランケンシュタイン』とは、神への冒涜や創造主の傲慢を描く物語ではない。理解を求めて彷徨う孤独な魂が、愛によって救済されることを信じる物語だ。CBSのインタビューで彼は「モンスターの美しさは、そのままの自分でいいと教えてくれることなんだ」(*5)と語っている。幼いころから青白く、内向的で本ばかり読んでいた彼は、自分の奇妙さを恥じるのではなく、むしろそこにこそ人間の真実を見いだした。シェリーの怪物とは、他ならぬ彼自身の鏡像だったのだ。


 だからこそ、デル・トロの映画にはいつも孤独な被造物が息づいている。登場人物はみな、世界から理解されない存在でありながら、愛と赦しを希求する怪物たち。彼の映画は、異形の者たちが人間性を取り戻すための祈りであり、そのフィルモグラフィー全体が、メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』という神話の影を宿している。




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