どうしたことか、歳を重ねれば重ねるほどケン・ローチ(1936~)作品が大好きになっている自分に気づく。例えば同世代のリドリー・スコット(1937~)が、キャンバスに壮大な歴史絵図をうねらせるようなダイナミックな作風で知られるのに比べ、ローチが描くのは一見取るに足らないほどの市井の人々だ。しかもローチが彼らの運命を司っているというそぶりは一切見せず、まるで登場人物一人一人が自らの意志で動き、生を育み、その様子をローチが静かに見守っているかのような、ドキュメンタリーをも思わせるような素朴なタッチが特徴的だ。
絵に描いたような悪人はいない。誰もが各々の暮らしの中で精一杯に生きている。それでいて、徹底したリアリズムによる筆致は、家族や友人、それに仕事仲間どうしの絆をしっかりと描きつつも、決して安易なハッピーエンドを与えない。映画が終わって「はい、おしまい」ではなく、そこが始まりであり、私たちは物語を通じてすっかり他人事ではなくなった登場人物の境遇や彼らがもたらす”問題提起”についてずっと考え続けることになる。

『石炭の値打ち』©Journeyman Pictures
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二部形式で描かれる炭鉱物語
ケン・ローチ作品は、日本では『家族を想うとき』(19)が公開されたきりで、最新作『The Old Oak』(23)はまだ公開に至っていない。が、このタイミングでまさか1977年にBBCテレビで放映された『石炭の値打ち』(The Price of Coal)が劇場公開されるとは驚きだ。これまで日本ではソフト化や配信もされていなかった、まさに幻の作品である。
それは当時、名作の脚色から書き下ろしまで様々なジャンルにまたがった作品を放映した、”Play for Today”というBBCのドラマ枠で制作された、2週分(2エピソード)に及ぶ物語。今回の劇場公開では二部構成の計168分の長編作として上映される。脚本を担当したのはローチの代表作『ケス』(69)の原作および脚本家として知られるバリー・ハインズ。『ケス』と同じく『石炭の値打ち』もまた、彼が生まれ育った炭鉱町の記憶が入念に活かされた一作と言える。
舞台は1976年、サウス・ヨークシャー、バーンズリー近郊のミルトン炭鉱(架空の炭鉱である)。第一部では、ここがチャールズ皇太子の訪問地として選ばれたことから、経営陣はすぐさま付け焼き刃の方法で”見栄え”をよくするための苦慮を始める。壁やレンガを白く塗ったり、土砂に草木を根づかせようとしたり、花で彩ったり。その上、従業員たちには「悪態禁止」も通達される。そんなドタバタの末、街の人々が歓迎ムードで待ちわびる中、いよいよ皇太子がヘリで降り立ち…。
そしてこれが第二部になると微笑ましさは一転。皇太子の来訪から約1か月後、炭鉱で事故が起こり、安否不明のまま坑内に取り残された作業員を救うべく仲間が救助活動へと向かう。果たして事故の原因は作業上のミスか、それとも安全管理を怠った体質的なものか・・・。
いずれにしても、第一部でごく表目的な「取り繕いの対策」を講じた直後にこの致命的な事故が起こるという痛烈な事態を描きつつ、階層社会や平等の本質について深い視点を投げかけ、低賃金で危険な作業に身を投じる炭鉱労働者やその家族の日々について真摯に描き出す。