他人という鏡
列車というタイムカプセルには、過去だけではなく現在がある。ジェイは列車のドアの向こう側に立ち、デイジーと恋人のギョーム(テオ・オージエ)がキスをしているところを目撃する。スクリーンのキスシーンを見る観客のように。ティーンのカップル。映画界のヒーローであるジェイ・ケリーに遭遇したとき、ギョームは憧れのまなざしで彼を見る。しかしギョームは、恋人の父親の前で臆することなくデイジーとべたべたする。ジェイはディオールのアンバサダーとしてキャンペーンに参加すること、これまで嫌っていた功労賞の授賞式に参加することを口実に、デイジーを追いかけるストーカーになっている。テーブルを挟んだぎこちない会話が続く。“演技”に綻びが生まれる。ジェイは寛大な父親のイメージやスターの優雅さを取り繕えなくなっていく。『ジェイ・ケリー』には、テーブル越しに向かい合った者同士が、友好的な会話から次第に居心地の悪い空間に変わっていく、もう一つの重要なシーンがある。

Netflix映画『ジェイ・ケリー』
旧友ティモシー(ビリー・クラダップ)と再会するシーン。トラブルの予感を抱いたロンは二人の再会を心配する。ジェイとティモシーの学生時代を彩ったであろうポップミュージックが流れるダイナーで、二人は向き合う。演劇学校の優等生だったティモシーは、メニュー表を読みながら涙を流す演技を要求される。過去の経験や感情を召喚する見事なメソッド演技が披露される。このときのティモシーが、どんな感情を召喚して涙を流したのかは分からない。しかしティモシーはメソッド演技を契機に、一瞬にしてジェイにすべてを奪われたオーディション会場の悪夢を語り始める。若かった頃を懐かしむ空気が、暴力的な空気に急変していく。『マリッジ・ストーリー』におけるアダム・ドライバーとスカーレット・ヨハンソンがひたすら罵り合ったシーンのように、ノア・バームバックの映画では、相手の言葉を遮るようにぶつかり合う会話が、自分自身に向けられた刃となり、“鏡”となる。
功労賞の授賞式の控え室で、ジェイとロンが向き合う台詞のないシーンに涙する。二人はまさしく“鏡”のように向き合い、メイクを施し、身支度を調える。 “ジェイ・ケリー”という大衆の憧れのために献身してきたジェイとロン。ロンは“ジェイ・ケリー”の一部である。一人の俳優のフィルモグラフィーとは、あらゆる年代の姿を永遠にスクリーンに留めることだ。劇場はタイムカプセルとなる。祝祭空間となる。ジェイと共にこの映画の観客は気づかされる。これまで出会ってきた大切な人たちは、自分自身を映す“鏡”だったのかもしれない。『ジェイ・ケリー』は、ノア・バームバックが年齢を重ねた今だからこそ撮れる映画だ。この傑作は老いていくことを祝福する。歩みを祝福する。すべての献身を祝福する。何より人生の奇妙さに感嘆することを祝福している。
*Deadline [Noah Baumbach And Adam Sandler On 'Jay Kelly']
映画批評。「レオス・カラックス 映画を彷徨うひと」、ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、リアルサウンド、装苑、otocoto、松本俊夫特集パンフレット等に論評を寄稿。
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