2026.01.22
ケルソンとサムソン、ジミー・クリスタルの孤独
「暴力」という目くらましで孤独に耐えようとするジミー・クリスタルとジミーズに対し、暴力の解毒を試みる医師ケルソンは、別の意味でより深い孤独のなかにある。少年スパイクが去った今、ケルソンは以前からの日常に戻った。そのなかで、彼は感染者サムソンに“何か”を見出すのである。
前作では圧倒的な恐怖と暴力の象徴だった(なにしろ人の頭部をつかんで胴体から引き抜くのである)サムソンだが、本作ではケルソンのモルヒネ投与によって新たな一面が見えてくる。ケルソンとサムソンは、何ひとつ言葉を交わすことなく、時には肩を並べ、時にはともに踊って過ごす。それは両者にとって、思いがけず孤独を癒す方法となった。
暴力そのものであったサムソンを解毒したケルソンは、ジミーが操る「暴力」を解毒できるのか――それが映画の大きな主題となる。双方の信仰が、双方の世界が激突したとき、いったい何が起きるのか。そして、サムソンとジミー・クリスタルという“暴力の象徴”である2人には、いったいどんな共通点と相違点があるのか。

『28年後... 白骨の神殿』
もはや本作の脚本はゾンビ映画のそれではなく、滅亡後の世界と人間存在を複数の切り口からシミュレーションする人間ドラマだ。監督のニア・ダコスタはその本質をつかみ取りつつ、秀でた演出力で物語を過剰性たっぷりに、また軽やかに遊んでみせる。
それはたとえば、シリーズで最も激しい人体破壊と暴力の連鎖。森の中を駆けるサムソンをとらえたショットの躍動。驚かされるような劇中曲のセレクトも、レイフ・ファインズが見せるパフォーマンスも、ダコスタによる演出の遊戯性だ。サムソンの物語においては、以前からスーパーヒーローや怪物の覚醒を鮮やかに描いてきたダコスタのストーリーテリングが冴え渡る。
もっとも肝要なのは、そうした娯楽性と遊戯性から、やがて彼らが抱える孤独の空洞が静かに浮かび上がってくることだ。喧騒が高まるほど、それらが覆い隠している空洞の深さが浮き彫りになる。
ケルソン役のレイフ・ファインズ、サムソン役のチ・ルイス・パリーは、それぞれの肉体によって静と動の対比を表現。彼らが静かに肩を並べて座るだけの時間には、本作でも屈指の豊かな沈黙がある。ジミー・クリスタル役のジャック・オコンネルが見せる演技も、狂気に塗りつぶされた脆い内面があらわになる瞬間こそが白眉だ。
思わぬ方向に展開してきた『28日後...』3部作は、いよいよ最終幕を残すのみ。吹きすさぶ暴力の嵐を乗り越えた先で、再び監督を務めるダニー・ボイルと、脚本家アレックス・ガーランドはいったい何を描くのか――ラストシーンのその先は、まだ誰にも予想できない。
文:稲垣貴俊
ライター/編集者。主に海外作品を中心に、映画評論・コラム・インタビューなどを幅広く執筆するほか、ウェブメディアの編集者としても活動。映画パンフレット・雑誌・書籍・ウェブ媒体などに寄稿多数。国内舞台作品のリサーチやコンサルティングも務める。
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配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント