2026.01.29
処刑椅子のアームチェア・ディテクティブ
映画の舞台は2029年、犯罪都市ロサンゼルス。治安維持の切り札として導入されたAI司法システム「マーシー」は、有罪確率が閾値を超えれば即座に死刑を執行する、冷徹かつ効率的な正義で秩序を保っていた。
クリス・プラット演じる刑事レイヴンは、このシステムの信奉者であり、多くの犯罪者を断罪してきた側の人物。しかしある朝、彼はその処刑椅子に縛り付けられた状態で目を覚ます。容疑は妻の殺害。AIが弾き出した有罪確率は、即時処刑ラインを遥かに超える97.5%だった。
本作の白眉は、上映時間と劇中のタイムリミットが完全同期する、リアルタイム進行にある。死刑執行までの90分間、身動きの取れないレイヴンは、SNSや監視映像などのデジタル・フットプリントを駆使して、自らの嫌疑を晴らすために奔走する…いや、座ったままだから“奔座”する。ミステリーの世界には、現場に赴くことなく推理だけで事件を解決する、安楽椅子探偵(アームチェア・ディテクティブ)という伝統的なジャンルが存在するが、本作は最も過酷で、皮肉な亜種と言えるだろう。
伝統的な安楽椅子探偵は、安楽椅子でパイプを燻らせながら知的な遊戯に耽るが、レイヴンの座るそれは、文字通りの処刑椅子。肉体を1ミリも動かせない“究極の受動状態”にありながら、その意識だけはデジタル・ネットワークを回遊し、自らを死に追いやろうとするAIと同じデータソースにアクセスする。

特筆すべきは、探偵に不可欠なパートナーであるワトソン役が、皮肉にも自分を処刑しようとしているAI「マーシー」であること。被告人でありながら探偵でもある彼は、自分を殺そうとするシステムを唯一の相棒として、自らの死刑執行を回避するための対話型デバッグを、命懸けで遂行していくのである。
通常、「人間 vs AI」の構図を持つ作品は、暴走するシステムを人間が破壊し、高らかにヒューマニズムの勝利を宣言して幕を閉じるのがオチだった。軍事コンピュータに三目並べをさせ、核戦争の無意味さを悟らせて破滅を回避した『ウォー・ゲーム』(83)しかり、国家安全保障のために暴走するAIを、主人公が決死の覚悟で止めようとする『イーグル・アイ』(08)しかり。
しかしこの映画が画期的なのは、排除ではなく協力・共存への道を模索している点にある。レイヴンが挑むのは、AIという「巨大な中国語の部屋」を破壊することではない。部屋の中にいるAIに対し、壁の外から正しい意味(セマンティクス)を教え諭し、対話することだ。
AIは構文(ルール)を完璧に処理できるが、意味(文脈)を理解できない。人間は意味を理解できるが、処理能力や公平性に限界がある。だからこそ、両者は互いの欠落を埋め合う必要があるのだ。
AIをバグとして排除するのではなく、親が子供に倫理を説くように、人間がAIに慈悲(マーシー)という概念をインストールできるか。本作のスリルは、単なる犯人探しを超え、AIとの相互理解が成立し得るかどうかに懸かっている。