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『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』ウェルカム・トゥ・ユア・ライフ、人生の思いがけなさに向けて

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『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』ウェルカム・トゥ・ユア・ライフ、人生の思いがけなさに向けて

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フォーエヴァー・ヤング



 「水曜日に寝る場所を探すのに苦労しながらも、土曜日にはロンドンやパリ、イスタンブールで国際大会に出場するような連中だったのです。」(ジョシュ・サフディ)*1


 ティモシー・シャラメがボブ・ディランを演じた『名もなき者/A COMPLETE UNKOWN』(24)と同じく、『マーティ・シュプリーム』はニューヨークを舞台にしている(興味深いことに、両作品は主人公による“自己発明”というテーマでつながっている)。しかし、少なくともアートとして認識されていたフォーク・ミュージックと違い、違法な賭け事の対象でさえあった卓球には、よりアンダーグラウンド性が漂っている。それは本作の照明やプロダクションデザインに反映されている。拡散することのない暖色系の貧しい灯り。屋内の照明には場末の雰囲気が溢れている。彼らは“光の溜まり場”に集っている。街の臭気のようなものが、この映画全体を覆っている。それはこの街の色彩であり雑多な活力でもある。ジョシュ・サフディは、賭け事が行われていた秘密の卓球クラブを、「迷える魂たちで溢れた孤児院」に喩えている。


 ジョシュ・サフディが卓球を扱ったのは、本作が初めてではない。目の前の蝶をつかむように軽やかに盗みを働く少女を描いた『The Pleasure of Being Robbed』(08)にも卓球のシーンは挿入されていた。ジョシュ・サフディは子供の頃から父親と卓球に親しんでおり、大会に出場したこともあったという。ニューヨーク生まれのジョシュ・サフディ。彼の叔父は、本作のモデルであるマーティ・リーズマンのライバルだったディック・マイルズと親交があった。この街で暮らしている人々の顔と顔が生き生きと活写されていく。ジョシュ・サフディは、ボウリング場のシーンに登場するすべてのエキストラを自分で選んだという。サフディ兄弟のフィルモグラフィー全体にいえることだが、非俳優をキャスティングする際の審美眼が冴え渡っている。マーティのライバルとなるエンドウ(川口功人、とてつもなく素晴らしい!)をはじめ、すぐに人を刺してしまいそうなギャング役のアベル・フェラーラ、ロックウェル・インクの冷酷な経営者を演じるケビン・オレアリー。そしてタイラー・ザ・クリエイターが演じる明るい友人ウォーリーは、50年代のドゥーワップから現代までの歴史をつないでいる。ウォーリーには家族がおり、マーティのようにすべてを捨てられない。この時代のこの街に、黒人として家族を抱えて生きることへの苦しさが滲んでいる。



『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』© 2025 ITTF Rights LLC. All Rights Reserved.


 本作の美術は、テレンス・マリックやデヴィッド・リンチの傑作群で知られる伝説的なプロダクションデザイナーであるジャック・フィスクが担当している。ジョシュ・サフディとジャック・フィスクは、ヘレン・レヴィットやエルンスト・ハースの写真や、ケン・ジェイコブスによる1950年代のロウアー・イースト・サイドの風景を捉えた傑作短編ドキュメンタリー映画『Orchard Street』(55)を参考にしている。特に後者は、スタッフ全員の“バイブル”になったほどだという。アルファヴィルの80年代のヒット曲「フォーエヴァー・ヤング」をバックに、マーティとレイチェルが情熱的にキスを交わす冒頭のシーンは、『Orchard Street』のラストショットへの美しいウインクと思われる。この2つの作品に共通しているのは、雑多な街の片隅に咲いた愛の若さを永遠にフィルムに留めているところだろう。同時に、50年代という第二次世界大戦後の時代と、80年代という冷戦、核戦争への恐怖の時代がクロスしている。


 希望と恐怖が表裏一体に描かれている。『マーティ・シュプリーム』の描く若さや“ドリーム・ビッグ”という楽観的とも強迫観念的ともいえるキャッチフレーズには、戦争の影が色濃く滲んでいる。詳細は省くが、劇中で語られるナチス強制収容所の蜂蜜のエピソードは、マーティ・リーズマンの自伝にも記されている(リーズマンの自伝自体が、ベトナム戦争前夜における戒厳令下のハノイから始まっている)。マーティのライバル・エンドウは、太平洋戦争敗戦後の日本の復興、全国民の希望として描かれている。さらに冒頭で流れるアルファヴィルの「フォーエヴァー・ヤング」は、冷戦時代における核戦争への恐怖を背景に作られた曲である。

 




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