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『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』ウェルカム・トゥ・ユア・ライフ、人生の思いがけなさに向けて

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『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』ウェルカム・トゥ・ユア・ライフ、人生の思いがけなさに向けて

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『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』あらすじ

女たらしで嘘つきで自己中。だけど卓球の腕前だけはピカ一のマーティ。NYの靴屋で働きながら、世界チャンピオンになって人生一発逆転を目指す。そんな中、不倫相手のレイチェルが妊娠、卓球協会からは選手資格はく奪を言い渡される。万年金欠のマーティはありとあらゆる手を使って選手権への渡航費を稼ごうとするが__。


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リズム&エナジー!



 「バックハンド、バックハンド」。「フォアハンド、フォアハンド」。マーティ(ティモシー・シャラメ)とウォーリー(タイラー・オコンマ)による白熱する卓球のラリー。『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』(25)は、リズムとエナジーを重視する映画だ。マーティは夢に向かって、ひたすら邁進する。詐欺師のような才覚のある彼は、手段を選ばない。夢が叶わない世界なんて想像すらしない。マーティにとって沈黙することは降伏であり、立ち止まることは、すなわち死を意味する。英雄的でもあり、嫌悪感を抱かせる人物でもある。とりわけ幼馴染のレイチェル(オデッサ・アザイオン)には冷酷な態度をとっている。彼女の愛を“罠”のように感じている。しかし傲慢で挑発的なマーティのリズムには、多くの人を巻き込んでいくエネルギーがある。


 自分自身ですら手に負えない加速力、あらゆる判断が追い付けなくなるほどの目まぐるしいエネルギーが、人から人へ感染していく。同時に、マーティには華やかさと脆さがある。マンハッタンの移民地区ロウアー・イースト・サイドに暮らすユダヤ移民のマーティは、自分のことを“ヒトラーの最悪の悪夢”であると自嘲している(マーティのラストネーム“マウザー”は、ドイツ軍が使用していた銃のブランド名でもある)。父親がおらず、労働者階級のマーティは、あからさまな反ユダヤ主義を感じながら成功を望んでいる。彼は卓球の才能に溢れていた。



『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』© 2025 ITTF Rights LLC. All Rights Reserved.


 その有害性を簡単に断罪できない、多面的なキャラクターである。ティモシー・シャラメは、演技のギアを3段階くらい上げ、マーティというキャラクターにリズムとエナジー、スピード、何より多面性のプリズムを吹き込んでいる。マーティが放つエネルギーは、再現されたロウアー・イースト・サイドの雑多な賑わい、街のノイズと調和している。マーティ=ティモシー・シャラメの演技には、熱狂がある。若さがある。綱渡りのロマンがある。途方もない熱量に支えられた演技は、キャリアベストと断言できる。この作品は20代のティモシー・シャラメの最後の作品であり、彼はこの作品に自分の若さを捧げている。


 監督のジョシュ・サフディとティモシー・シャラメは、卓球というスポーツが持つ舞踏的な性質についてよく話し合っていたという。マーティ=ティモシー・シャラメは、優れた卓球選手であり、優れたダンサーである。本作を見ると、このスポーツ自体が非常に映画に向いていることに改めて気付かされる。プレイヤー同士がお互いの目を確認できる近さや、ラケットの打撃音に、熱量が生まれていく。ボクシングの多彩な打撃技術を見るかのようなストローク。しなやかな筋肉の動き。ここにはエンターテイメント性がある。マーティは卓球の地位を向上させるために奮闘する。道化になる。それは卓球というスポーツと自分自身のブランディング、神話化である。主人公のモデルとなったマーティ・リーズマンの自伝には、当時の卓球が置かれていた社会的地位の低さを表わす記述がある。人々からバカにされるため、ジャケットの下にラケットを隠さざるを得なかったと。卓球の才能に溢れ、貧しいユダヤ移民であるマーティは、二重の意味で“アンダーグラウンド”から這い上がらなければならなかった。





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