1. CINEMORE(シネモア)
  2. 映画
  3. バルタザールどこへ行く
  4. 『バルタザールどこへ行く』アンヌ・ヴィアゼムスキーとロバ、厳格さと驚きが幸福にクロスする地点
『バルタザールどこへ行く』アンヌ・ヴィアゼムスキーとロバ、厳格さと驚きが幸福にクロスする地点

©1966 Argos Films – Parc Film – Athos Films – Swedish Film Institut – Svensk Filmindustri

『バルタザールどこへ行く』アンヌ・ヴィアゼムスキーとロバ、厳格さと驚きが幸福にクロスする地点

PAGES


若者や予測不可能性への関心



「耳は能動的で想像力に富んでいますが、目は受動的です。夜に物音を聞けば、即座にその原因を想像します。列車の汽笛の音は、駅全体の情景を呼び起こします。目は提示されたものしか知覚できないのです。」(ロベール・ブレッソン)*


 アンヌ・ヴィアゼムスキーは、『ジャンヌ・ダルク裁判』(62)の主演を務めたフロランス・ドゥレの紹介でロベール・ブレッソンに抜擢されている(フロランス・ドゥレも作家になったことは興味深い)。「少女」には、ロベール・ブレッソンとアンヌ・ヴィアゼムスキーの電話でのやり取りが記されている。ロベール・ブレッソンは、声を重視する映画作家だ。ジャーナリストからのインタビューを承諾するときも、その人の素の“声”で判断していたという。このことはロベール・ブレッソンが俳優について語る、“モデル”という概念とつながっている。ロベール・ブレッソンは、外見のイメージの装飾が目を濁らせてしまうことに敏感だった。だからこそ、大衆によってイメージを装飾されたスターを起用することを避けていた。


 『抵抗(レジスタンス)-死刑囚の手記より-』(56)において、刑務所の外の世界を想像させる、奇怪ともいえるフレーム外の“音”が重要だったように、ロベール・ブレッソンの映画において音は、“もう一人の俳優”であるかのように扱われる。ロベール・ブレッソンは、ドイツ軍の捕虜だった経験がある。ドア越しに誰かが鞭で打たれる音を聞く方が、実際にその場面を目撃するよりもはるかに恐ろしかったことを告白している。『バルタザールどこへ行く』において、後で付け足されたであろう鞭の音は、それ自体が“もう一人の俳優”といっても大げさではない。


 『バルタザールどこへ行く』では、シューベルトのピアノソナタが劇伴として使用され、登場人物が実際に聞く音楽としてポップミュージックとジャズが流れる。それらはジェラールの破壊行為と結びついていく。ジェラールの元に引き取られ、奴隷労働を強制されるバルタザールは、やがて衰弱していき、始末されかける。間一髪のところで、放浪者のアルノルドがバルタザールを引き取る。しかし、アルノルドは酒に溺れている人物だ。アルノルドは、木を振り回してジェラールたちを威嚇する。椅子を持ち上げ、バルタザールに暴力を振るう。バルタザールは、アルノルドが片手に持つ酒の空き瓶に恐怖を覚え、逃げだす。この映画の観客は、アルノルドの掲げた酒瓶が凶器に変わる瞬間に怯える。しかし、アルノルドの酒瓶は凶器に変わることなく、代わりにジェラールが酒瓶で破壊行為に走る。



『バルタザールどこへ行く』(c)Photofest / Getty Images


 サーカス団に逃げ込んだバルタザールは、他の動物たちと視線を交わす。このシーンは本作における、もっとも奇怪で、同時に映画の核心を突いているシーンといえる。バルタザールの瞳と動物たちの瞳のクローズアップが編集でつながれる。前後に置かれた映像により観客の印象を導く“クレショフ効果”の応用ともいえるが、私たちは勝手に動物たちの感情を決めつけることはできない。悲しい瞳をしているように見えるバルタザールが、本当に悲しんでいるのか、感情の所在と行き先がまったく不明である。このシーンは、“クレショフ効果”への問いとして機能している。ロバはロバであり、トラはトラであり続ける。映像と映像の衝突という驚きだけがある。バルタザールはサーカスのシーンで、掛け算のできる“天才ロバ”として扱われる。調教されたロバを映画に登場させることを嫌ったロベール・ブレッソンは、このシーンを最後に撮っている。ロベール・ブレッソンは、それこそ予測不能な愛玩動物の代表といえる猫を愛した人だった。


 次作にあたる『少女ムシェット』(67)で、ロベール・ブレッソンはロバの役割を小さな女の子にすることで再構築している。ロベール・ブレッソンは本作をきっかけに、遺作となる『ラルジャン』(83)に至るまで、若者への関心をどんどん強めていく。『たぶん悪魔が』(77)を見た当時ティーンのレオス・カラックスは、ロベール・ブレッソンが若者を正確に描いていることに心から驚いたという。本作の原題が『偶然、バルタザール』であるように、ロベール・ブレッソンは、厳格であると同時に偶然性を愛した映画作家でもある。何より自分を驚かせようとしていた。『バルタザールどこへ行く』は悲劇的だが、喜びの映画でもある。彼のキャリアの分岐点となった本作に、ロバのバルタザールとアンヌ・ヴィアゼムスキーという予測不能な二つの“驚き”があったことの喜びは計り知れない。


*Charles Thomas Samuels「Encountering Directors」



文:宮代大嗣(maplecat-eve)

映画批評。「レオス・カラックス 映画を彷徨うひと」、ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、リアルサウンド、装苑、otocoto、松本俊夫特集パンフレット等に論評を寄稿。




『バルタザールどこへ行く 4Kレストア』を今すぐ予約する





作品情報を見る



『バルタザールどこへ行く』4Kレストア

「ロベール・ブレッソン傑作選」

ユーロスペースにて公開中

配給:エタンチェ ユーロスペース

©1966 Argos Films – Parc Film – Athos Films – Swedish Film Institut – Svensk Filmindustri


(c)Photofest / Getty Images

PAGES

この記事をシェア

メールマガジン登録
  1. CINEMORE(シネモア)
  2. 映画
  3. バルタザールどこへ行く
  4. 『バルタザールどこへ行く』アンヌ・ヴィアゼムスキーとロバ、厳格さと驚きが幸福にクロスする地点