1. CINEMORE(シネモア)
  2. 映画
  3. 砂丘
  4. 『砂丘』バニシング・ポイント(消失点)を祝福する、発光のダンス
『砂丘』バニシング・ポイント(消失点)を祝福する、発光のダンス

©2026 WBEI

『砂丘』バニシング・ポイント(消失点)を祝福する、発光のダンス

PAGES


『砂丘』あらすじ

1960年代末、ロサンゼルス。学生集会での虚しい議論に背を向け、マークは拳銃を手に学内で弾圧行為に及ぶ警官隊にひとり立ち向かう。だが発砲のチャンスを逸して逃走、飛行場でセスナを奪い、大空へと飛び立った。一方、L.A.の土地開発会社で秘書を務めるダリアは、アリゾナでの会議に参加するため車を走らせていた。広大な砂漠で運命的に出会ったふたりは「死の谷」(ルビ:デス・ヴァレー)へと向かう。不毛の地が続く異様な景勝地〈ザブリスキー・ポイント〉にたどり着くと、そこには幻のような光景が広がっていた…。


Index


“ファック・ユー・アメリカ”



 ミケランジェロ・アントニオーニの『砂丘』(70)のラストカットは、“ファック・ユー・アメリカ”という文字が空に描かれて終わるはずだったがスタジオに却下されたという、本当か嘘か分からない痛快なエピソードがある。1967年のカンヌ国際映画祭で最高賞パルムドールに輝いた『欲望』(66)の世界的な成功を受け、ミケランジェロ・アントニオーニはハリウッドのMGMスタジオで、キャリア初のアメリカ映画を制作する機会を得る。イタリア人映画作家によるアメリカ映画。しかし本作は、ポーリン・ケイルのような著名な批評家をはじめ、アメリカで徹底的に批判される。アントニオーニ自身は、この映画が“反アメリカ主義”の映画であることを否定しているが、映画作家の言葉をそのまま受け止めるべきかに関しては、留保の必要があるだろう。主人公のマーク(マーク・フレチェット)は、盗んだセスナ機をカラフルにペイントしていく。セスナ機の左側には“NO WORDS”、そして右側には“NO WAR”という文字がペイントされている。警官は戦争に反対する若者に銃を向ける。強烈な皮肉である。


 本作は明確に反戦映画であり、反権力の強い意思を持った映画である。撮影当時50代後半だったアントニオーニは、国家権力に抵抗する若者たちの熱気に共感しており、1968年にシカゴで開かれた民主党大会に対するデモで、州兵に殴打された若者たちを直接その目で目撃している。同時に、広大な土地に異人種が集まるアメリカという国自体の持つ魅力に強く惹かれている。パリやローマで何かが起これば、それはフランスやイタリアで起きていることだが、ロサンゼルスで何かが起こっても、それはニューヨークには“反響”しないという、当時のアメリカ社会に向けられたアントニオーニの見解は興味深い。この映画が人間と風景の“反響”、人間と人間の“反響”を描いているからだ。反体制派のマークと大企業の秘書であるダリア(ダリア・ハルプリン)という、まったく関係ない2人の若者がデスヴァレー(死の谷)で出会う。2人はザブリスキー・ポイント(『砂丘』の原題)に向かっていく。



『砂丘』©2026 WBEI


 学生集会を抜け出したマークは、ルームメイトとロサンゼルスの街を車で走り抜けていく。アルフィーオ・コンティーニによるカメラワークが圧倒的に素晴らしい。街のいたるところにある大きなビルボード広告の数々が、ポップアートのように見える。この風景には、“善良なアメリカ人の生活”という神話が羅列されている。消費社会の象徴である看板が、強烈な魅力と強烈な皮肉を同時に放っている(アントニオーニの言葉の真意はここにあると思われる。この作品は“単なるアメリカ批判”ではない)。その意味で、映画の後半でロサンゼルスの上空を飛ぶマークのセスナ機に描かれた“NO WAR”というメッセージは、ビルボード看板のように“広告”としての韻を踏んでいることになる。しかし個人の広告=メッセージは、大きな力によって消されてしまう。


 マークはバイクに乗った警官に中指を立てる。本作においてロサンゼルスの警官は、教養のない暴力的な職業として描かれている。拘置所の身分照会のシーンで、職業を「歴史の准教授」と告げる男性に、「長いな」と言い放ち、「学者」という一言で雑にまとめてしまう。マークが相手を挑発するつもりで名乗ったであろう「カール・マルクス」という偽名に、警官はまったく反応しない。




PAGES

この記事をシェア

メールマガジン登録
counter
  1. CINEMORE(シネモア)
  2. 映画
  3. 砂丘
  4. 『砂丘』バニシング・ポイント(消失点)を祝福する、発光のダンス