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『バルタザールどこへ行く』アンヌ・ヴィアゼムスキーとロバ、厳格さと驚きが幸福にクロスする地点

©1966 Argos Films – Parc Film – Athos Films – Swedish Film Institut – Svensk Filmindustri

『バルタザールどこへ行く』アンヌ・ヴィアゼムスキーとロバ、厳格さと驚きが幸福にクロスする地点

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『バルタザールどこへ行く』あらすじ

聖人のようにバルタザールと名付けられた小さなロバは、幼いマリーに引き取られ可愛がられる。やがてバルタザールは他の飼い主たちの手に渡り、次々と人間の業に翻弄される。一方マリーは、幼馴染のジャックの求愛を退け、みずから求めるかのように苦難の道を歩んでいく。


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史上最高の演技



 ティルダ・スウィントンは『バルタザールどこへ行く』(66)のロバについて、自分の演技における最大のインスピレーションであり、「映画史上最高の演技」であると繰り返し述べている。『バルタザールどこへ行く』と同じく、ロバの受難を描いた傑作『EO イーオー』(22)を撮ったイエジー・スコリモフスキは、『バルタザールどこへ行く』の最高の俳優がロバであることは明らかだと語っている。


 マリー(アンヌ・ヴィアゼムスキー)によってバルタザールと名付けられたロバ。バルタザールは、数奇な運命によって様々な飼い主に引き取られる(この映画の原題は、「偶然、バルタザール」と訳される)。良い飼い主もいれば悪い飼い主もいる。ロベール・ブレッソンは、バルタザールの感情やリアクションを明確な形で提示していない。アニメーション作品のように、動物が擬人化されることを避けている。言葉を話さないロバは、最後までロバであり続ける。たとえばポップミュージックに合わせて鳴き声をあげるバルタザールは、よい気分で一緒に歌っているのかもしれないし、騒音に抗議しているのかもしれない。バルタザールの本当の感情は、結局のところ分からない。バルタザールのつぶらな瞳に何を見るかは、この作品を体験する観客の感情に委ねられている。バルタザールという名前が、新約聖書に登場するキリストの誕生を祝福する三賢者の一人の名前に由来することもあり、これまでに様々な解釈が語られてきた深遠な作品ではあるが、ロバという動物が何を象徴するか(あるいは象徴しないか)は、最終的に観客の判断に委ねられている。おそらくティルダ・スウィントンやイエジー・スコリモフスキは、観客によって何色にも染まることのできるこの“俳優”のパフォーマンスを、自身の創作における理想の境地としている。



『バルタザールどこへ行く』©1966 Argos Films – Parc Film – Athos Films – Swedish Film Institut – Svensk Filmindustri


 ハイティーンになったマリー(アンヌ・ヴィアゼムスキー)が、バルタザールを連れて小屋の奥から登場する。ロベール・ブレッソンの多くの映画と同じように、マリーは少し俯いている。マリーはバルタザールの額から鼻筋をやさしく撫でる。あるときは、バルタザールの頭部を花で飾りつける。微笑ましく愛らしいシーンではあるが、バルタザールの花飾りは、キリストの茨の冠のようにも見える。マリーの無意識が、バルタザールに“受難”を背負わせてしまったのだろうか。


 田舎町で暮らす憂いのある少女を演じるアンヌ・ヴィアゼムスキーが素晴らしい。善と悪のどちらにも簡単に転んでしまいそうな曖昧さがある。この作品はアンヌ・ヴィアゼムスキーのデビュー作である。そして本人が認めるように、彼女の人生を永遠に変えた作品でもある。後に小説家となるアンヌ・ヴィアゼムスキーは、『バルタザールどこへ行く』の舞台裏を「少女」という作品に結実させている。「少女」。このシンプルなタイトルに、『バルタザールどこへ行く』のマリーと、当時のアンヌ・ヴィアゼムスキーが、これ以上ないくらい的確に表わされている。




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