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『テオレマ』悲劇と喜劇のクローズアップ、そして亡霊の叫び

(c) 1985 - Mondo TV S.p.A.

『テオレマ』悲劇と喜劇のクローズアップ、そして亡霊の叫び

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『テオレマ』あらすじ

イタリアの大都市、ミラノ郊外の大邸宅に暮らす裕福な一家の前に、ある日突然見知らぬ美しい青年が現れる。父親のパオロは多くの労働者を抱える大工場の持ち主。その夫に寄りそう美しい妻ルチアと、無邪気な息子ピエトロ、娘オデッタ、そして女中のエミリア。何の前触れもなく同居を始めたその青年は、それぞれを魅了し、関係を持つことで、ブルジョワの穏やかな日々をかき乱していく。青年の性的魅力と、神聖な不可解さに挑発され、狂わされた家族たちは、青年が去ると同時に崩壊の道を辿っていく…。


Index


定理の破壊



 ピエル・パオロ・パゾリーニの『テオレマ』(68)は、日本語訳で「定理」というタイトルが示す物語の構造を、むしろ構造によって破壊していく。背景も名前も不明な男(テレンス・スタンプ)の訪問によって、ブルジョワ家族は悲劇的な離散を迎えることになるが、果たしてそれが「定理」に導かれたものだったのか。説明のつかない多くの謎を残している。パゾリーニにとって映画作家としてのキャリアの中間点にある本作には、ブルジョワ家族の父パオロが訪問者に告白する台詞「私自身の道徳、私自身の混乱」のように、「道徳と混乱」の間で揺れ動く感情が渦巻いており、そこがこの作品の大きな魅力になっている。


 パゾリーニの映画にいつも軽やかな明るさを加える、ニネット・ダヴォリ扮する郵便配達の男が、美しいセピア色の画面で妖精のように跳ね回りながら、訪問者の報せを届ける。屋敷では、訪問者を歓迎するかのように、スウィンギング・ロンドン風のポップミュージックが流れ始める。伝説的なモデル、ジーン・シュリンプトンと交際していたテレンス・スタンプ自身を歓待するかのようなパーティーシーン(撮影時は既に破局していた)。ロンドンの風を運ぶ訪問者。このシーンに続く、庭園で椅子に座り読書する訪問者のシーンで、映画は早々に大きな展開へと動き出す。


『テオレマ』予告


 ブルジョワ家族のメイドとして働くエミリア(ラウラ・ベッティ)は、この若い男性にたった一瞥の視線を向けただけで「囚われの女」になってしまう。あるいは彼女は既に「囚われの女」であり、訪問者の到来によって解放されたのか。いずれにせよ、メイドは若い男に欲情してしまった自分を恥じ、ガスホースを口に咥え、自殺を図ろうとする。駆け付けた訪問者によって彼女は救済される。


 ここでは庭園を繰り返し走る彼女の姿が、強く残像として脳裏に刻まれる。本作において庭園は、家族の「道徳と混乱」の磁場、渦巻く感情の痕跡を残していく磁場として機能する。郵便配達の男は、この庭園を軽快に跳ね回り、エミリアは逃げるように走り、オデッタ(アンヌ・ヴィアゼムスキー)は不可思議なステップを踏み続け、訪問者は様々なポーズで思い出の写真を撮られる。


 訪問者はこの家族に見送られ、あっという間に去っていく。彼の残した言葉は非常に少ない。裸で横たわる母親ルチア(シルヴァーナ・マンガーノ)に向かってくる彼は、太陽の光が重なることによって、悪魔的な後光が射しているように見える。彼は自分の魅力に十分な自覚を持っている。それでもブルジョワ家族を意図的に誘惑するような悪意があったとは思えない。ただ単に「視線を一身に集めてしまう人」として、彼は存在していた。ここには、誰もが彼の存在によって歯止めが効かなくなってしまったという事実だけが家族に残される。



『テオレマ』(c) 1985 - Mondo TV S.p.A.


 では、家族を崩壊させる啓示を与えたこの訪問者は一体何者なのか? 地上に舞い降りた救世主なのか、それとも破壊者なのか。パゾリーニは、この男性をキリストだとする多くの批評家の解釈を否定している。


 「悪魔、あるいは神と悪魔が混ざったような存在だ」(ピエル・パオロ・パゾリーニ)*1





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