1. CINEMORE(シネモア)
  2. 映画
  3. テオレマ
  4. 『テオレマ』悲劇と喜劇のクローズアップ、そして亡霊の叫び
『テオレマ』悲劇と喜劇のクローズアップ、そして亡霊の叫び

(c) 1985 - Mondo TV S.p.A.

『テオレマ』悲劇と喜劇のクローズアップ、そして亡霊の叫び

PAGES


テレンス・スタンプとアンヌ・ヴィアゼムスキー



 『テオレマ』にはパゾリーニの映画としては例外的に、イタリア国外の華やかな俳優たちが出演している。テレンス・スタンプとアンヌ・ヴィアゼムスキーだ。アンヌ・ヴィアゼムスキーは、ジャン=ピエール・レオやピエール・クレマンティと共に、パゾリーニの次回作『豚小屋』(68)にも出演している。


 テレンス・スタンプは、ケン・ローチによる『夜空に星のあるように』(67)等を経て、フェデリコ・フェリーニの傑作短編『悪魔の首飾り』(68)に出演している(オムニバス映画『世にも怪奇な物語』の一編)。『テオレマ』と同じく、「イギリスから来た男」を演じたテレンス・スタンプは、この作品の吹き替えでローマを訪れた際、十代の頃、夢中になったシルヴァーナ・マンガーノに偶然出会う。『悪魔の首飾り』の中で、映画制作会社代表を名乗る人物から聞かされる台詞に、偶然にもパゾリーニの名前が出てくることを含め、テレンス・スタンプと『テオレマ』の出会いには、どこか運命的な導きがあったのだろう。撮影中、パゾリーニと会話することは、ほぼなかったと語るテレンス・スタンプ。彼は『テオレマ』で、俳優としての自発性のあり方や、カメラの前に「ただ存在するだけ」で成立していく思考を学んだという。


『テオレマ』(c) 1985 - Mondo TV S.p.A.


 アンヌ・ヴィアゼムスキーの場合は『テオレマ』に出演したことが、彼女の方向性を決定付けることになった。ジャン=リュック・ゴダールによる『中国女』(67)の上映でヴェネチアに滞在していたアンヌ・ヴィアゼムスキーは、そこでパゾリーニに出会う。パゾリーニは、『バルタザールどこへ行く』(66)に出演していた彼女を知っていること、『アポロンの地獄』(67)の公式上映に是非来てほしいことを伝えたのだった。


 その後、『テオレマ』に出演したアンヌ・ヴィアゼムスキーは、イタリアの地で二人の重要な映画作家と出会うことになる。マルコ・フェレーリとカルメロ・ベーネ。この頃の思い出について彼女はこう語っている。


 「とても美しく、とても力強く、とてもコンテンポラリーなものを、加速度的にたくさん受け取っていた時期でした。当時の映画制作者は、歴史そのものに関わっていたのです」(アンヌ・ヴィアゼムスキー)*2


 王族ヴィアゼムスキー家の末裔として生まれたアンヌ・ヴィアゼムスキーは、フランスに渡りゴダールのミューズとして知られ、この時期はイタリアの俳優になっていた。『テオレマ』に続き『豚小屋』と、連続でパゾリーニの作品に出演したことで、俳優としての自由を得たと、後年語っている。パゾリーニに嫌われていると思い込んでいたアンヌ・ヴィアゼムスキーは、『豚小屋』でパゾリーニから出演依頼があったことを心から喜んでいる。彼女の著書「それからの彼女」にもその時の喜びは記されている。パゾリーニとの間には、三度目のコラボレーションの話さえ出ていたのだという。


 イタリア映画におけるアンヌ・ヴィアゼムスキーは、ゴダールの映画での彼女とはまったく違う新たな側面を披露している。マルコ・フェレーリによる『人間の種』(69)や、カルメロ・ベーネによる『Capricci』(69)といった傑作群。それは『テオレマ』で不可思議なステップを踏んでいた彼女のイメージと地続きに重なっている。




PAGES

この記事をシェア

メールマガジン登録
  1. CINEMORE(シネモア)
  2. 映画
  3. テオレマ
  4. 『テオレマ』悲劇と喜劇のクローズアップ、そして亡霊の叫び