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『テオレマ』悲劇と喜劇のクローズアップ、そして亡霊の叫び

(c) 1985 - Mondo TV S.p.A.

『テオレマ』悲劇と喜劇のクローズアップ、そして亡霊の叫び

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顔の啓示学



 「撮影された木は詩的であり、撮影された人間の顔は詩的である。なぜなら身体性はそれ自体が詩的であり、幻影であり、謎に満ち、曖昧さに満ち、多義的な意味に満ち、木でさえも言語システムの記号だからである」(ピエル・パオロ・パゾリーニ)*3


 パゾリーニの映画では「顔」が、物語以上のことを語っている。俳優という芸術家とのコラボレーションよりも、技術を持たない非俳優とのコラボレーションを好んだパゾリーニは、たとえば農民の役が欲しい際は、撮影の現地でスカウトをするなど、その人がその人であることを望んでいた。『テオレマ』は、パゾリーニの言葉に倣うならば、ブルジョワ的な環境でブルジョワの人々を撮った初めての映画となる。本作で、貴族出身のアンヌ・ヴィアゼムスキーにブルジョワ一家の娘の役をキャスティングしたのも、パゾリーニのこういった姿勢の延長上にあるのだろう。



『テオレマ』(c) 1985 - Mondo TV S.p.A.


 パゾリーニはどの作品においても人の顔の中に救いを見出す。それは手掛けたドキュメンタリー作品群に顕著だ。『アポロンの地獄』におけるシルヴァーナ・マンガーノの美しいクローズアップや、『王女メディア』(69)のマリア・カラスの輪郭。市井の人々の顔に至るまで、カメラに捉えられた顔が語る、物語以上の余白を引き出す名手といえる。『テオレマ』においては、劇中に出てくるフランシス・ベーコンの画集以上に、女性たちの顔が映画の語りを大部分を担っている。シルヴァーナ・マンガーノの顔は、映画の退廃的な香りを引き立て、空中浮遊することになるラウラ・ベッティには顔の啓示が宿っている。そしてアンヌ・ヴィアゼムスキーの顔からは、母親のように退廃してしまうことへの抵抗の意志を引き出している。




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