亡霊の叫び
アンヌ・ヴィアゼムスキーが演じるオデッタの固く握りしめられた拳は、何かの戦いの意志を示すように振り上げられることはない。自らの意志で身体を硬直させたオデッタは、金縛りにあったまま病院に運ばれる。オデッタは訪問者への思いを留めるために身体を硬直させた。その拳は微かな震えを保ちながら、固い抵抗を示し続ける。彼女は叫ぶことすら禁じている。
ルチアは町に出て若い男性と性交渉を交わす旅に出る。息子ピエトロは、画家としての本能に目覚め、キャンパスに小便をかける。彼らは良くも悪くも訪問者の啓示によって自己変革を課すことになる。しかし、生きながらにして時を止めてしまったオデッタだけは、変わらずに純心、または彼女自身の道徳を守ることに成功している。『テオレマ』の「道徳と混乱」における唯一の勝利者とは、沈黙を貫き通したオデッタのことなのかもしれない。
『テオレマ』(c) 1985 - Mondo TV S.p.A.
砂漠を浸食する影に全裸の父親パオロが向かっていく。この砂漠は『豚小屋』で人肉を喰らう名もなき若き放浪者(ピエール・クレマンティ)の寓話へと引き継がれていく。また、解き放たれた身体という意味において、かつて『大きな鳥と小さな鳥』(66)で、「ブレヒトとロッセリーニの時代は終わった」と言い放ったカラスを喰らい、遠くへ消えていった二人組の歩みのことを思い出す。
パゾリーニにとってロベルト・ロッセリーニは、チャールズ・チャップリンや溝口健二と同じく映画の父のような存在だ。悲劇と喜劇を同時にクローズアップさせたような結末は、父殺しの宿命を凌駕していた。『テオレマ』で砂漠を彷徨うパオロの絶叫は、あらゆる運命を、結末を、そして定理を凌駕することを渇望する亡霊の叫びだ。全裸のパオロは悲劇のクローズアップであり、喜劇のクローズアップでもある。荒野の砂漠で自己消失者という名の亡霊が、悲劇と喜劇を乗り越えるために叫び続けている。
*1 「Pasolini On Pasolini: Interviews with Oswald Stack」
*2 Liberation [Interview «Le texte était écrit sur des rouleaux de papier hygiénique»]
*3 Film Comment [Interview: Pier Paolo Pasolini]
映画批評。ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、リアルサウンド、松本俊夫特集パンフレット等に論評を寄稿。
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『テオレマ 4Kスキャン版』
3月4日(金)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開
配給:ザジフィルムズ
(c) 1985 - Mondo TV S.p.A.