三つの海による交響楽
『海辺の恋』は三つの海が交錯する映画である。ジュヌヴィエーヴがダニエルと出会ったドーヴィルの海(最近では『センチメンタル・バリュー』(25)における、マジックタイムの浜辺の風景が記憶に新しい)。ダニエルが海兵として赴任するブレストの海。そしてダニエルが海兵として駐留していたアルジェの地中海。記憶の中にある海が、交響曲を奏でるような映画だ。この映画の色彩には、人生の喜びの感覚と喪の感覚が交互に滲んでいる。それは万華鏡のようにフィルムにペイントされていく。
水彩画のような映画。『海辺の恋』における水の感覚は極めて独創的だ。パリに降る雨。ブレストに降る雨。雨に濡れた夜のブレストの路面は、黒い海となる。ネオンの灯りが路上のコンクリートを照らす。滲んだ灯りが路上に揺らめく。登場人物はその中を泳ぐ。漂流する。または溺れそうになっている。ジュヌヴィエーヴとダニエルは、それぞれに異なる心の遭難状態にある。そしてこの映画の背景には、アルジェリア戦争がある。アルジェリアにいたとき、ダニエルは一度も銃を撃ったことがない。ジュヌヴィエーヴは、彼の告白に安心する。しかしダニエルは言う。「僕には同じさ、戦争も平和も」。ジュヌヴィエーヴは、ダニエルが遠くに向けるまなざしに不安を覚える。彼女の視線に恐怖が宿る。ダニエルはここではないどこかに出発しようとしている。ジュヌヴィエーヴは彼をつなぎとめることができない。

『海辺の恋』©1965 Films Galilée
ギィ・ジルはオムニバス映画『新・七つの大罪』(62)でジャック・ドゥミが手掛けた『淫乱の罪』のアシスタントを務めている。ジュヌヴィエーヴ・テニエとは、そのときに出会っている(ジュヌヴィエーヴ・テニエは『ロシュフォールの恋人たち』(67)にカフェ店員役で出演している)。ギィ・ジルにとって、ジャック・ドゥミとロベール・ブレッソンの映画は創作のメンターである。ジュヌヴィエーヴが髪をとかすファーストシーンのクローズアップは、ジャック・ドゥミの『 ローラ』(61)におけるアヌーク・エーメのイメージと、どこか重なっている。ローラと同じように、ジュヌヴィエーヴは“待つ女性”だ。記憶の中の海が、温度を運ぶ。雨や霧に包まれた街が、おぼろげなヴィサージュ=顔のイメージを運ぶ。それは幽霊のように彼女の前に立ち現れる。ジュヌヴィエーヴが映画館で見る作品の中で、ジュリエット・グレコは去っていく恋人(アラン・ドロン)に告げる。「忘却とは眠ること」。映画の中の言葉が、ジュヌヴィエーヴの未来を予見するように響き合っている。
ジュヌヴィエーヴと同僚の女性が、街で出会った青年と共に骨董品に溢れた庭にたどり着くシーンが象徴的だ。骨董品に宿った記憶。時間の痕跡。静物に心が投影される。物に息遣いが生まれることの美しさ。そこには過ぎ去った時間への慈しみと同時に、想像力に取り囲まれてしまうような怖さがある。私たちの誰もが、無意識に類似性を探してしまう感覚を持ち合わせている。『海辺の恋』は、過ぎ去ったイメージ、通り過ぎていったイメージの類似性を発見することの喜びと恐怖を、フィルムに点描している。まさしく、音楽と香水が古い記憶を呼び起こすように。