思い出の中で生き続ける
『オー・パン・クペ』は、ジャンヌとジャンの静止状態から始まる演出を多用している。不自然なほど止まった状態から人物が動き始める。動きのあるショットの次に、静止画と見紛うようなショットが編集でつながれることで、そこには切断された“断面(パン・クペ)”のようなものが生まれている。この手法はジャンヌの中断された愛を表現しているだけに留まらない。動きの止まったショットは、いわば疑似写真であり、それは本作がジャンヌとジャンの幼少期と思われるモノクロームの写真から始まっていることと密接につながっている。
ギィ・ジルは、写真や絵葉書といった凍りついた時間に命が吹き込まれ、それが解凍されていく過程を撮ろうとしている。思い出の“再生”だ。ジャンヌは思い出を再び生き直す。作り直す。恋人たちが一緒にいた頃、古い絵葉書を一緒に見つめながら物語を編み出していったように。ギィ・ジルが“オー・パン・クペ”というカフェに魅せられたのは、まさしく時間が止まっているような空間だったからだという(実際には店内での撮影許可が下りず、外観だけを撮影している)。ジャンヌとカメラの視線によって、止まっていた時間に息遣いが生まれる。しかし『海辺の恋』がそうだったように、それは喜びと痛みの精霊を同時に召喚している。

『オー・パン・クぺ』©1968 Machafilm
ジャンヌに別れを告げたジャンは、やがて死を選ぶ。ジャンが最後に見たであろう景色が細かくショットを割って映し出されていく。リヨン郊外の家。庭、電柱、空。穏やかな表情で庭に倒れていたと言われるジャンの選択は、果たして悲劇だったのだろうか。彼にとってそれは敗北ではなく、反抗であり、理想に殉じた行為だったともいえる。ではジャンの死を知らずに、思い出の中に生きるジャンヌの生き方は悲劇なのだろうか。前作『海辺の恋』のジュヌヴィエーヴが、去ろうとしている恋人の機微を心の底では察知していたように、ジャンヌは消えた恋人を探す自分の行為が無駄であることを充分に理解している。ジャンヌは傷つくことに耐えながら、かつての喜びを“再訪”している。枯れない花はないが、最初から灰として生まれる花もない。ジャンヌは思い出の中で生き続けることを望んでいる。
『オー・パン・クペ』を撮る前に、ギィ・ジルは『Pop Age』(66)というTV作品を撮っている。ビートルズの登場から始まる激動の時代の若者文化、社会への新たな反抗の形を、同世代の若者の立場で検証している。この作品の中でマーシャ・メリルはファッションについて語り、マルグリット・デュラスは若さについて語っている。ギィ・ジルにとって、ジャンというキャラクターが若さと反抗を象徴しているように、容赦なく進んでいく時間の中で思い出に生き続けるジャンヌの姿もまた、別の形の反抗なのだろう。