2026.05.20
拘束され拷問された市民たち
物語は、ある事故から始まる。自動車修理工場で働くワヒド(ワヒド・モバシェリ)は、妻子を連れて修理工場を訪れた男が発する義足の音を“偶然に”耳にする。それは、かつてワヒドが反体制的な人物だとして不当に投獄された際、拷問をおこない人生を奪った残忍な看守の出す音に酷似していた。復讐の念に駆られたワヒドは、男を追跡して路上で拘束する。そして、バンに乗せて人の目のない荒野に連れていき、穴を掘って生き埋めにしようとするのだ。だが男が「人違いだ」と主張したことで、ワヒドは不安になる。拷問時には目隠しをされていたため、看守の顔を知らなかったのである。
そこでワヒドは復讐を中断し、当時同じように収監されていた人々を訪ね、彼が本当に看守なのかを確認してもらおうとする。もちろん、男を拘束することも、復讐に手を貸す行為も犯罪行為である。医師やフォトグラファー、結婚式を控える花嫁姿の女性など、至って“普通の市民”である面々は、当然戸惑いを感じることになる。しかし、自分を虐げた看守かもしれない男に復讐できる機会には抗いがたいものがあるらしい。彼らはワヒドの企みに手を貸すだけでなく、湧き上がる怒りを抑えきれなくなる瞬間すら見せる。

『シンプル・アクシデント/偶然』©LesFilmsPelleas
ここで語られるのが、政治犯として捕えられた者たちが、どれほどの目に遭うのかということだ。日々の穏やかな生活に戻れたとしても、一般的な市民が逆上するほどに、その行為は陰惨なもの。それは、根拠のない創作ではない。パナヒ監督自身が拘束された経験があるのはもちろんのこと、実際に政治犯として捕えられた人々から聞き取り調査を実施している。精神的な圧力を受け記憶が消えない者、暴力によって内臓が損傷して後遺症を患う者、そして信じ難いことに、女性が強姦されるといった歴史的犯罪行為も仄めかされる。
強姦という拷問方法は、イラン・イスラム革命以降、とくに1980年代の大量処刑期から現代に至るまで、政治犯収容所で実際におこなわれてきたと、数多くの生存者、亡命者の証言によって伝えられている。イラン体制側の一部における狂信的な者たちの間では、「処女のまま死刑にされた女性は天国へ行ってしまう」という俗信があり、それを避けるため強姦によって処女を奪ってから処刑したという。身体や精神だけでなく、死後の尊厳すら永遠に奪おうとする、言葉を失ってしまうような悪魔的行為だといえよう。そんなことが国家や宗教の名の下におこなわれ、政府が隠蔽しているとするならば、絶対に許されないことだ。
こうした凄惨な話を提示されてしまえば、観客もまた“看守だったかもしれない男”への怒りを燃やしてもおかしくないし、復讐に燃える者たちの心情を理解し、応援すらできるのではないか。この男が本当に一連の犯罪に手を染め、その代償も払っていないのであれば、どのように言い訳をして懺悔をしようが許せないはずだ。しかしそんな人物にも、愛する妻や子どもたちがいる。「妻子に会いたい」と泣き叫ぶ男を殺害することに、復讐者たちは強い逡巡をおぼえるのである。