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『メモリィズ』映画という名のタイムマシン、死者と生者が交錯する無人の窓

©2026LittleMore

『メモリィズ』映画という名のタイムマシン、死者と生者が交錯する無人の窓

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『メモリィズ』あらすじ

雄太(柄本佑)が九州の田舎町へとやって来たのは、足を骨折した義父・誠(イッセー尾形)が回復するまで身の回りの世話をするためだった。義父が営む昔ながらの写真館の仕事を手伝いながら、東京にいる妻・ゆき(穂志もえか)と娘・花との間で、スマホで撮った映像を交わす。大きな事件は何も起こらないが、日々の些細な出来事と、その記録と記憶の連なりに、家族の人生という長い時間の存在が、静かに、鮮やかに浮かび上がってくる──。


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パーソナルな喪失から生まれた、記憶の装置



 想像してほしい。あなたは映画監督だ。主人公の雄太(柄本佑)が、足を怪我した義父・誠(イッセー尾形)の世話をするために、東京から大分の田舎町へと向かう場面を撮るとする。普通なら、重い荷物を引きずりながら改札を抜けるカットや、目的地に到着して「今日からお世話になります」と深々と頭を下げる段取りを丁寧に描くことだろう。観客に状況を説明するために。


 しかし、これが長編初監督となる坂西未郁は、そんなドラマ的説明を一切すっ飛ばす。雄太はフェリーの窓枠から海を眺め、見知らぬ土地の道をただスマホの動画で撮影しながら進んでいく。そして到着の挨拶を描くことなく、観客は唐突に、すでに義父の家でごく当たり前のように食事をしている主人公の姿を目撃することになる。


 物理的な移動は見せるくせに、ドラマとしての段取りはまるまる省略。そもそも、雄太と誠がどういう関係性なのか、なぜ大分に行く必要があるのかすら、最初は何も説明してくれない。観客は彼らの少しぎこちない距離感や、言葉の少ないやり取りを観察しながら、事後的に状況を察していく。この、徹底して説明を拒否するストイックな演出を見せられた時点で、我々はこの『メモリィズ』(26)という、あまりにも奇妙で、たまらなく愛おしい映画の術中にすっぽりとはまっている。



『メモリィズ』©2026LittleMore


 そもそも、なぜ坂西はこの映画を撮ろうとしたのか。その根底には、彼自身の極めてパーソナルな喪失体験と、記録に対する気づきがある。彼の亡き父は、映像ディレクターの坂西伊作。T.M.Revolutionや川本真琴、岡村靖幸など、1980年代から90年代にかけて、日本のミュージックビデオ黎明期を牽引した人物だ。多忙で昼夜逆転の生活を送り、家にいることが少なかった父は、坂西が高校生の時にこの世を去った。


 その死に長らく蓋をして生きてきた彼だが、自らも映像の世界へ進む中で、かつて父が遺した仕事を見直す瞬間が訪れる。その時、作品としての輪郭を飛び越えて、父と過ごした日々の匂いや、言語化できない膨大な記憶が唐突に溢れ出してきたという。


 誰もがスマホを持ち、カジュアルに日常を記録できる現代。無意識に撮り溜めている些細な動画や写真も、時が経てば、かつて自分が父の遺した映像から受け取ったような「記憶を呼び覚ます装置」になるのではないか。そんな着想から、当初は「離れて暮らす家族がスマホで映像を送り合う短編映画」として企画がスタート。その後、プロデューサーである孫家邦の目に留まり、長編映画へとスケールアップした。


 つまりこの映画は、監督自身がそうであったように、「残された映像(記録)を媒介にして、他者の生きた時間や記憶を再発見する」という体験そのものを、フィルムに焼き付けた作品なのである。





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