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『黒牢城』黒沢清の本格的時代劇が映す、世界のありよう

©米澤穂信/KADOKAWA ©2026映画「黒牢城」製作委員会

『黒牢城』黒沢清の本格的時代劇が映す、世界のありよう

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城の内側だけを描いた映画



 室内劇ではあるが、ひとつの部屋に留まる密室劇ではない。家臣たちと軍議を開く部屋。官兵衛を幽閉する地下室。村重自らが茶を振る舞う静かな茶室。信頼する家臣と相談を交わす庭先。城の全体像が映らない代わりに、城内にあるいくつもの場所が映され、ときには広々とした草原で敵への闇討ちを繰り広げたりもする。


 にもかかわらず、この映画はやはり外部を完全に排除した「内」の映画である。それはこの話が、城に立て篭もり織田軍に防戦することを選んだ者たちの物語だからだ。彼らが城の外に出るときは、戦い方を変え合戦に挑むときか、もしくは織田軍に降伏し城を明け渡したときのどちらかしかない。彼らの戦い=籠城が続くかぎり、物語は城の内部から飛び出すことはない。


 映画が「外」を映すことができないのには、もうひとつ、実際的な理由がある。これが正統な時代劇だからだ。多くの時代劇がそうであるように、戦国時代という過去の時代を再現するためには、セットや美術の工夫によって画面のなかで当時の風景を再現し、その作り込んだ世界だけを映す必要がある。それはすなわち、決められたフレームの内側しか映せないということでもある。カメラがセットの外を映せば、そこには突然現代の景色が入り込んでしまうわけで、必然的に「ここからここまで」という映すべきフレームが厳格に定められる。



『黒牢城』©米澤穂信/KADOKAWA ©2026映画「黒牢城」製作委員会


 例えばフランスで撮影された『蛇の道』(24)では、男たちがいかにも黒沢清の映画らしい暗い廃墟のような場所に幽閉される場面が映される。陰鬱な壁に囲まれた部屋は、ここがどんな場所で時代がいつなのかを忘れさせ、匿名的な風景をつくりあげる。しかしカメラがふと外に出るとそこには広々とした街が広がり、これが現実のパリの街中で起きている出来事なのだと観客に気づかせ、言いようのない不穏さを出現させる。そうした、フィクション(虚構)の中にふいにリアル(現実)が吹き込む瞬間がこれまでの黒沢映画を特徴づけるものであったとすれば、現実が入り込む隙を徹底して封じることで時代劇として成り立たせたのが、『黒牢城』での挑戦だったといえる。


 黒沢監督自身、『黒牢城』についてのインタビューで次のように話している。「現代劇ではフレームの外側にもちゃんと世界が広がっていて、その世界のある部分を切り取っているのだ、という感覚で撮っていますが、今回はフレームの外側には世界はないんです」。監督はまた、フレームの外側の世界を映せない、という感覚は、旧グッゲンハイム邸やNHKのセットなど、当時の雰囲気を残した場所だけを選び撮影した『スパイの妻』での経験と似たところがあるとも指摘する。

 




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