がんの転移を経験しながら生き抜く哲学者と、臨床現場の調査を積み重ねた人類学者が交わした、20通の往復書簡からなる書籍「急に具合が悪くなる」。この原作をいかにして映画にするのか。
完成した映画は、一見すると原作とは似ても似つかぬ内容に思える。しかし原作を読み、映画を観れば、本作の根底には間違いなくこの本が息づいていることに気づき、深い驚きを覚えるはずだ。原作に記された言葉のひとつひとつが示すものを丁寧に掬い取り、確かな物語としてしっかりと編み上げていく。濱口竜介監督が手がけた本作は、まさにそんな印象を与えてくれる。
濱口監督はいかにして『急に具合が悪くなる』を映画化したのか。話を伺った。
『急に具合が悪くなる』あらすじ
舞台はフランス、パリ。郊外の介護施設「⾃由の庭」の施設長であるマリー=ルー・フォンテーヌ(ヴィルジニー・エフィラ)は⼊居者を⼈間らしくケアすることを理想としつつ、人手不足やスタッフの無理解などに悩まされている。そんな中、マリー=ルーは森崎真理という日本人の演出家に出会う。がん闘病中の真理が演出するのは、自閉スペクトラム症の孫・智樹と行動を共にする俳優・清宮吾朗の一人芝居。真理の描く演劇に勇気をもらったマリー=ルー。同じ名前の響きを持つ偶然に導かれて、二人の交流が始まる。しかし、あるとき真理は「急に具合が悪くなる」。真理の病の進行とともに、二人の関係は劇的に深まり、互いの魂を通わせ合うようになる⋯⋯。
Index
原作から受け取ったもの
Q:松田広子プロデューサーから原作本を渡された際、このまま映画にするのは難しいと思われつつも、強く惹かれたそうですね。「映画にしたい」という気持ちもあったのでしょうか。
濱口:そこは本当に難しいところでした。言葉で表しようのない感情が湧き、まさにそういうもの自体がこの原作の底にある気がしました。なかなか、企画をいただいて、これほどに心が震えるということはないんです。なので、どうすればいいかはわからないけどやりたい、と自然と思いました。
Q:映画の根幹となる魂の部分に原作は反映されていますが、ディテールなどハッキリとわかる形では反映されていません。脚本を作る際には原作を何度も読み返されたそうですが、具体的に参照されたものはあったのでしょうか。
濱口:原作は往復書簡なので、当然そこにはテキストしかなく視覚的な要素はほとんどありません。基本的には二人の学者による抽象的でアカデミックな会話で成り立っていますが、だんだんと選ぶ言葉の性質が変わってきます。よりパーソナルなものになっていく。魅せられたのはその「言葉をひとつひとつ選ぶことの、関係性のダイナミクスやその移り変わり」だったと思います。
書簡を書いている際中に出版が決まって、第三者にも開かれた形で書かれてはいます。とはいえ、基本的には「相手にどういう言葉を届けるか」を二人の間で、常に懸命に考えて、選んでいる。単に自分の思考を述べるのとは違い「この人に届く言葉とは一体何なのか」をお互いが考えている。その言葉によって関係が変わっていき、また「この言葉に対してどう返すか」という、二人の間にある緊張関係やある種の思いやり……、思いやりというよりは「言葉を選ぶことの責任」でしょうか。そういったものが映像に移し替えられると良いなと思っていました。

『急に具合が悪くなる』© 2026 Cinéfrance Studios – Arte France Cinéma – Office Shirous – Bitters End – Heimatfilm – Tarantula - Gapbusters – Same Player – Soudain JPN Partners
Q:原作の中では「偶然性」について言及される章もあります。監督は『偶然と想像』(21)という映画も撮られていますが、宮野さんと磯野さんが話す内容自体にも興味を持たれたのでしょうか。
濱口:そうですね。まさに『偶然と想像』を撮る際に「偶然とは何だろう」と考える必要があったので、九鬼周造という哲学者が書いた『偶然性の問題』という本を読んでいました。ただ、これが単に昔の言葉遣いであるということを超えて、非常に難解な本でして…、一読しただけではよく分からずにいました。そんな中、宮野さんはまさに九鬼周造を専門とされている方で、この「急に具合が悪くなる」の本の中では、誰でも分かるような平易な言葉遣いで「偶然」について語られていました。それが九鬼哲学を理解するうえでの “とっかかり”になりました。宮野さんが亡くなられた後に発刊された「出逢いのあわい」も読んだのですが、そこでも『偶然性の問題』が中心に書かれていて、「あ、こういうことなのか」とようやく腑に落ちる感覚がありました。その点でも縁や、恩義を感じています。