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『黒牢城』黒沢清の本格的時代劇が映す、世界のありよう

©米澤穂信/KADOKAWA ©2026映画「黒牢城」製作委員会

『黒牢城』黒沢清の本格的時代劇が映す、世界のありよう

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世界の「外」を撮り続けてきた映画作家=黒沢清



 考えてみれば、黒沢清という映画作家は、これまでずっと世界の「外」を映し続けてきた人だ。あるとき突然、この目で見えているもの、普通だと認識しているものからは逸脱した存在が現れ、私たちの生きる世界を揺さぶる。たとえばそれは、世界の向こう側からやってきた幽霊や死者であったり(『回路』『降霊』『』『岸辺の旅』)、地球の外側から到来した宇宙人(『散歩する侵略者』)であったり、知らぬ間に周囲に漂い始めた不気味な殺意だったりする(『Chime』『Cloud クラウド』)。ときには、世界の新たな法則とでも呼ぶべきものが突然目の前に突きつけられたりもする(『CURE』『カリスマ』『蛇の道』)。


 黒沢清の映画はいつも、私たちの生きる現在の世界がいかに脆弱で頼りないものであるかを見せつけ、この世界の外側にはまったく未知の景色が広がっていることを想像させる。その出会いは、恐ろしく不気味でありながら、わくわくするような興奮をもたらしてくれる。



『黒牢城』©米澤穂信/KADOKAWA ©2026映画「黒牢城」製作委員会


 なぜ黒沢清は世界の外側を描きつづけるのか。それは、そもそも映画というメディアが、世界の外側を描くことによって初めて映画として誕生したからだ。監督自身がしばしば例にあげるように、1895年に撮影されたリュミエール兄弟の『工場の出口』は、工場の扉が開きそこから次々に人々が出ていき、やがて画面の外へと消えていくまでを映すことで、観客の思いを「フレームの外」へと掻き立てるのに成功した、世界で初めての映画だ。『工場の出口』はさらに、フレームだけでなく時間の「外」をも想像させる。門が閉まるまでのたった1分ほどの時間を見せることで、門が開く前に人々が工場で過ごしていた時間(過去)と、門を出た後に人々が過ごすはずの時間(未来)をも喚起する。つまりここには、空間としての「外」と時間上の「外」の両方が存在する。

 

 



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