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『アワーミュージック』背中と正面の美学、例外的な死を想像する

©2004 AVVENTURA FILMS – PERIPHERIA – FRANCE 3 CINÉMA – VEGA FILMS

『アワーミュージック』背中と正面の美学、例外的な死を想像する

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ワン・プラス・ワン、“裏切り”



「愛する人を撮影するなら、まずはその人の背中から撮る方がよい。たとえ正面から撮るとしても、そこには背中があるのだと考えて撮らなければならない。」(ジャン=リュック・ゴダール)*1


 アウトフォーカスで捉えられたサラエボの路上。ぼやけた風景の奥からオルガ(ナード・デュー)が向かってくる。近づいてきた彼女にカメラの焦点が合う。フランス国籍のロシア系ユダヤ人の学生オルガ。彼女のクローズアップは、かつてジャン=リュック・ゴダールの映画で“闘争のヒロイン”を務めてきた、アンヌ・ヴィアゼムスキーやジュリエット・ベルトの面影を想起させる。オルガはカメラに向かって何かを伝えるが、その言葉は分からない。ショットが切り替わり、カメラはオルガの後頭部を捉える。吐き捨てるような声がフレームの外から響く。「どうでもいい」。カメラに背を向けたオルガは、何かを決意したかのように、再びアウトフォーカスの世界に戻っていく。


 オルガの正面と背中の反転、編集の切れの良さには、2つの世界を同時に語るゴダール的なテーマが凝縮されている。同時にこの路上シーンは、『勝手にしやがれ』(60)におけるパトリシア(ジーン・セバーグ)の“裏切り”を想起させる。ゴダール映画における“裏切り”というテーマ(ゴダールは“反転”の天才だ)。ゴダールは『アワーミュージック』(04)においても、物事には常に2つの側面があると語っている。ワン・プラス・ワン。正面・プラス・背中。ゴダールは2つの対象の間にある、“プラス”という言葉にこだわり続ける。“プラス”とは、モンタージュのことだけでなく、対象=イメージを捉えるカメラという“無”の機械のことを指している。イメージとカメラの関係について思考し続けた映画作家。レオス・カラックスがゴダールという映画作家を、ロベール・ブレッソンの系譜にあると位置づける理由はここにある。



『アワーミュージック』©2004 AVVENTURA FILMS – PERIPHERIA – FRANCE 3 CINÉMA – VEGA FILMS


 二重のイメージ。『アワーミュージック』の後半のヒロインである学生のオルガと、前半のヒロインであるジャーナリストのジュディット(サラ・アドラー)は、姉妹であるかのようによく似ている。『中国女』(67)のヴィアゼムスキーとベルトのように。サラ・アドラーがヒロインの結末を望まなかったことがきっかけだったそうだが、この偶然は大きな豊かさを本作にもたらしている。内戦後のボスニアで、ジャーナリストのジュディットは、イスラエル人とパレスチナ人の“和解”の鍵を探求していく。ジュディスは紛争の過去と未来をつなぐ橋の建設現場へと向かう。学生のオルガは、ボスニアを訪れたゴダールが演じる映画作家の講義を、目を閉じて聞き、ある決断に向かっていく。この映画には、光と闇それぞれを見つめるために目を開く(または閉じる)、2人のヒロインがいる。




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