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『シルビアのいる街で』スケッチという永遠に未完成の詩、ミューズは視線を跳ね返す

© Eddie Saeta s.a./Chateau-Rouge Production

『シルビアのいる街で』スケッチという永遠に未完成の詩、ミューズは視線を跳ね返す

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迷路のようなストラスブール



 『シルビアのいる街で』は誰かに一瞥を投げかけるという、極めて単純な行為に関する映画である。視界を遮られたとき、もっと見たいという欲望が生まれる。青年は視点を変えるために、椅子の位置を調整する。すべてを見せないゲリンの演出は、人間の本能を刺激する。いつの間にか青年と観客の動物的な本能を一致させていく。しかし、シルビアのイメージは決して定まることはない。様々な女性の顔が組み合わさった、複合体としてのシルビア。青年はスケッチブックにペンを走らせる。“彼女、彼女たち”。


 青年はついにシルビアと思われる赤いキャミソールとロングスカートを着た女性(ピラール・ロペス・デ・アジャラ)を、窓ガラスの向こうに発見する。窓ガラスの向こう側にピントが合い、画面から浮かび上がるように女性が現れる。シルビアと思われる女性は、ずっと前からこのカフェにいた。彼女は隠されていた。女性がカフェを去る。青年は席を立ちあがり、彼女の後を追いかける。立ち上がった弾みで、テーブルの上のビールがこぼれる。グラスの倒れる音が、新しい展開の合図のように強調される。それは青年の心の中で何かが弾けた音であり、不吉な行く末を予感させる音でもある。



『シルビアのいる街で』© Eddie Saeta s.a./Chateau-Rouge Production


 青年による追跡劇。迷路のように入り組んだストラスブールの路地が素晴らしい。ゲリンは二人の距離、遠近感を狂わせる。青年と女性が縦並びになったときの、近すぎるように感じる距離は、カメラの遠近法によるマジックのように見える。青年は自信のない声で「シルヴィ」と声をかける。小さな声は誰にも届かない。そしてミュージック・コンクレートのような街の音の連なり。石畳を歩く足音、路面電車の音、人の声、自転車の車輪の音、路上のアコーディオン奏者、転がる空き瓶。街の音が近づいては遠ざかっていく。全方位に開かれた窓のように街の景色と音が飛び込んでくる。青年と女性がそれぞれ角を曲がる瞬間の、次なる景色の広がり、次なる騒音の広がりが、めまいを起こしそうになるほどダイナミックだ。


 “作家によるコントロール”と“世界の偶然”が摩擦することを愛する映画作家。ゲリンは「ワーク・イン・プログレス(傑作『工事中』(01)の英題)」と題された文章の中で、エリック・ロメールが手掛けた『ルイ・リュミエール』(68)という、ジャン・ルノワールとアンリ・ラングロワがリュミエール映画について語るドキュメンタリー作品を例に挙げながら、映画制作における制御と偶然の幸福な出会いについて述べている。ゲリンは撮影の準備を整え、フレームを広げ、偶然を取り込んでいく。シルビアの肖像を形作るのは、この街の景色であり、音だ。




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