ホテル・ド・スエード12号室という鏡の国
ゴダールの伝説的な長編デビュー作『勝手にしやがれ』のファーストショットは、新聞(「パリ・フラート」)に掲載されたコミックのアップから始まる。人形を手に持ったピンナップガールが、こちらに振り向いているイラスト。画面から新聞が下がると、帽子を被り、咥えタバコをした、ハンフリー・ボガード気取りのミシェルが登場する。このファーストショットは、ポージングというテーマを提示している。コミックの女性のポージングとミシェルのタフガイを気取ったポージングが、ワンカットに収められている。ポージングの“移行”と“伝染”だ。そして女性と共犯して、アイコンタクトや身振りによる合図で車を盗むシーンが展開される。ファーストシーンで示されるポージングと無言の身振りというテーマは、本作のメイン舞台といえるホテル・ド・スエード12号室で繰り返される。
ゴダールは『勝手にしやがれ』を撮るまでに、4本の短編を撮っている(トリュフォーとの共同監督作『水の話』(58)を入れるなら5本)。ダムの建設現場で肉体労働をしているときに撮った初めての作品『コンクリート作業』(54)。そしてトリュフォーが「ゴダールのすべてがある」と述べている『コケティッシュな女』(55)。ジャン=クロード・ブリアリが軽薄な男性を演じる『男の子の名前はみんなパトリックっていうの』(57)。そしてベルモンド主演の『シャルロットとジュール』(58)である。2作目~4作目の短編で、ポージングと身振りのテーマが探求されている。特にアパルトマンのワンルームで撮られた短編『シャルロットとジュール』は、『勝手にしやがれ』におけるホテル・ド・スエードの狭い部屋を直接的にイメージさせる作品だ。
ジャン・コクトーとジャック・ドゥミによる『冷淡な美男子』(57)の男女の役割を反転させた『シャルロットとジュール』は、多動的かつ猛烈な勢いで話すジュールと、ピエロのパントマイムのような身振りで無言と無関心を貫くシャルロットが、喜劇であり悲劇でもある作品だ(兵役についていたベルモンドの代わりに、ゴダールが声を吹き替えている)。ジュールはシャルロットの身振り、ポージングを真似る。同じ動きをする。この“ミラーリング”という行為が、『勝手にしやがれ』につながっている。

『勝手にしやがれ』(c)Photofest / Getty Images
『勝手にしやがれ』のホテル・ド・スエード12号室において、パトリシアは洗面台の鏡の前に立ち、髪をとかす(ベッドがほとんどの面積を占めるほど狭い部屋だったという)。「仏頂面って?」と質問するパトリシアに、ミシェルは3つの顔の表情の変化で返答する。口を大きく開ける。口をイーっとする。眉間に皺を寄せる。パトリシアはすぐさま3つの表情を鏡の前で真似する。ミシェルはパトリシアにゲームを仕掛ける。8つ数えるまでに笑わなかったら首を絞めると。パトリシアの顔がクローズアップされる。時間を止めるようなクローズアップは、写真を撮るときのポージングによく似ている。同時にこのショットは、ジーン・セバーグという俳優、被写体のクローズアップが特別であることを世界に向けて示している。
多動、静止、再び多動。ミシェルとパトリシアの即興的な多動性の中に挿まれる“静止の瞬間=ポージング”が、この狭い部屋のシーンを艶めかしく、同時に子供の遊びが延々と続くような豊かな空間に変えている。パトリシアはポスターを丸め、望遠鏡のようにしてミシェルのポージングを見つめる。パトリシアはオーギュスト・ルノワールの絵画のポスターの前でポージングをとる(鮮烈な美しさ!)。ポージングのために動く。あるいは動くためにポージングをとる。ミシェルとパトリシアが最後に身を隠す場所が写真スタジオであることは必然である。
パトリシアは、見つめるという行為を意識的に繰り返している。一方のミシェルは、パトリシアのことをしっかり見つめていなかったことを、やがて後悔することになる。パトリシアが鏡を覗き込むようにミシェルを見ていたのに対して、ミシェルは自分のことだけを見ていたといえる。このときホテル・ド・スエード12号室は、“鏡の国”となる。このホテルは1990年代に取り壊されている。本作の制作背景に迫るドキュメンタリー『スウェーデン・ホテル 12号室』(93)が、取り壊しの直前に撮られている。
ミシェルとパトリシアはぬいぐるみという小道具でもつながっている。ミシェルは別の女性の部屋でサルのぬいぐるみを手にしていた。パトリシアはホテルの部屋でクマのぬいぐるみを抱いていた。本作のファーストショットに登場する、コミックのピンナップガールの女性が手にしていた人形が、不吉なイメージとして新たなニュアンスを放ち始める。