ジャン=ポール・ベルモンドとの約束
「ゴダールは絶え間ない驚き、即興 、そして生きたものを追い求めている。この自然体な映画作りのスタイルがあまりにも気に入ったので、演技の抑制が解かれてしまった。それは未知の、新たな喜びだった。」(ジャン=ポール・ベルモンド)*3
ゴダールの短編『シャルロットとジュール』で、ベルモンドは主演を務めている(出演をプッシュしたのは、ベルモンドの奥さんだった。また、シャルロット役を演じたアンヌ・コレットは『勝手にしやがれ』の予告編で声の出演をしている)。このときゴダールは、ベルモンドに約束をしている。「初めて長編を撮る日が来たら、君と一緒に撮る」。駆け出しの俳優だったベルモンドは、ゴダールの言葉に胸が熱くなったが、あまり期待しないようにしていたという。しかし、ゴダールは約束を守った。「人生最大の過ちになる」というエージェントの反対を押し切り、ベルモンドは『勝手にしやがれ』への契約書に署名する。ベルモンドはゴダールのやり方に慣れていた。いざ撮影が始まると、すぐにゴダールのトーンが伝わり、「戸惑いを覚えるほどの絶対的な自由」を感じた。ベルモンドが撮影現場で感じた、“ありのままの自分であればいい”という解放感は(ベルモンドはこれを「免罪符」と呼んでいる)、セバーグの意見と一致している。『勝手にしやがれ』の中で、ベルモンドとセバーグは子供のように遊んでいる。それでも2人は、この作品が本当に公開されるかどうか懐疑的だった。ベルモンドは自伝に綴っている。失うものがないからこそ、「狂気」を加えることができたのだと。ある意味、ゴダールとベルモンドとセバーグは、それぞれのギリギリの状況を利用して、そのすべてを反転させたといえる。だからこそ、この作品は美しい。

『勝手にしやがれ』(c)Photofest / Getty Images
ミシェル・ポワカールという人物は、実際の事件の犯人を元にしている。しかし、それとは別に、言動面でモデルとなった人物がいる。ヌーヴェルヴァーグの兄貴分的な存在であり、ゴダールが慕ったポール・ジェゴフだ。『太陽がいっぱい』(60)やシャブロルの傑作群、エリック・ロメールの映画におけるダイアログライターであり、脚本家だったジェゴフは、ヌーヴェルヴァーグにおける“悪徳の華”のような人物として知られている。シャブロルは脚本に残酷さが必要なとき、ジェゴフにアドバイスを求めていた。悪魔的で挑発的な言動、破格の個性で周囲を魅了し、常に女性たちに囲まれていたジェゴフは、若い妻に刺されて亡くなるという最後を迎えている。ジェゴフはゴダールにドイツのロマン派の小説を読むことを勧めたり、ナイトクラブに連れ出したりしていた。インスピレーションの源泉。ある意味、ヌーヴェルヴァーグの映画作家たちの“ミューズ”だったジェゴフ。ジェゴフ自身も、ミシェル・ポワカールというキャラクターに自分と重なる要素を感じていたと言われている。