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『勝手にしやがれ』息も絶え絶えに走り抜ける、息も絶え絶えに永遠を刻印する

(c)Photofest / Getty Images

『勝手にしやがれ』息も絶え絶えに走り抜ける、息も絶え絶えに永遠を刻印する

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息も絶え絶えに、眠る



 『勝手にしやがれ』の編集が始まったとき、上映時間は2時間を超えていた。ジャンプカットを始めとする編集は、“偶然の神話”だったかのように語られることが多いが、ゴダールと共に編集にあたったセシル・ドキュジスによると、それは「むしろ熟考され、正確で、骨の折れる編集だった」という。キャラクターの発声のリズムと編集のリズムの相乗効果、飛躍により、あらゆるショットが“パンチライン”であるかのような衝撃が生まれている。「かりに演出が視線だとするならば、編集は心臓の鼓動である」という、ゴダールの言葉を思い出さずにはいられない。『勝手にしやがれ』の編集は、鼓動であり、息も絶え絶えな“呼吸”なのだ。たとえば、ミシェルとパトリシアがオープンカーで移動するシーン。運転するミシェルが放つ言葉のリズムに合わせ、パトリシアの首筋が印象的な後ろ姿が次々とジャンプカットで繋がれていく。ショットは同軸でジャンプカットされ、都市の景色だけが変わっていく。ゴダールはアクション・ペインティングのように、“アクション・シネマ”を試行しているように見える。


 ジャンプカットと同じくらい、むしろそれ以上に、本作の長いショットは際立っている。ミシェルとパトリシアは、シャンゼリゼ通りを行ったり来たりする。旅行代理店のシーンでミシェルや刑事を追っていく、見事にフォトジェニックでアメリカ犯罪映画的な移動撮影。そして終盤の写真スタジオにおける、車椅子を使ったドリー撮影。後者のシーンでは、パトリシアの言葉のフレーズに呼応するように、フレームの外からミシェルが言葉を返していく。セバーグとベルモンドは、カメラとダンスするように歩く。写真スタジオのシーンは、それぞれの“最後の告白”にスポットライトを当てた舞台のように撮られている。いわば、モノローグとモノローグの応酬だ。戦場カメラマンの経歴を持つクタールは、臨機応変な機動性や制限のある撮影に慣れていた。クタールは低予算、ゲリラ撮影、空間の狭さ等をむしろ楽しんでいた。ゴダールとクタールは、制限のある状況を利用して創意工夫を凝らす天才だった。



『勝手にしやがれ』(c)Photofest / Getty Images


 『勝手にしやがれ』という作品が奇跡的なのは、制限やアクシデントを推進力に変えることができるスタッフとキャストに、これ以上ないくらい恵まれたことだろう。ゴダールはすべてを成り行き任せで撮っていたわけではない。ゴダールは撮影初日の前夜にプロデューサーに手紙を書いている。不安を綴った手紙の内容から察するに、一睡もできずに撮影に挑んだと思われる。『勝手にしやがれ』は、周到に考えられた枠組みの中で、偶然という自由を引き寄せた映画といえる。シャンゼリゼ通りで行われていたフランス大統領ドゴールとアメリカ大統領アイゼンハワーのパレード団に、ミシェルとパトリシアが偶然に出くわすシーンがある。ルポルタージュのように撮られたショットは、しかし的確な構図に収まっている。トリュフォーが称賛を惜しまないシーンだ。さらにこのシーンは、『勝手にしやがれ』という映画が、フランスとアメリカとイタリアの“3つの地図”を描いていることと、意図的かどうか分からないレベルで共振している。フランス人のミシェルは、アメリカの犯罪映画に憧れ、大好きなパトリシアを連れてイタリアに旅立とうとしている(イタリアという記号は、ゴダールが憧れたロベルト・ロッセリーニを象徴しているともいえる)。


 「コントロールされていた。そこはさすがゴダールね」。セバーグの言葉は、ゴダールが入念な準備をした上で、撮影現場で起こる驚きを求めていたことを裏付けているといえる。しかし、プロデューサーのボールガールだけは不安で仕方なかった。それはこの映画に関わった誰もが認めている。「あなたの映画は最低だ」という、ゴダールの一言から始まったボールガールとの付き合いは、撮影期間中の殴り合いの喧嘩を経て、本作の成功以降、ゴダールの60年代黄金期を支えることになる。『勝手にしやがれ』は、1960年3月16日にフランスで公開され、その永遠を刻印することになる。


 「眠るって悲しいわ。分かれみたいで。“別れ”ね。“一緒に寝る”って言うけど…」


 パトリシアの台詞が忘れられない。さよならを告げるために、一緒に眠る。一緒に眠るために、さよならを告げる。息も絶え絶えに、さよならを告げる。息も絶え絶えに、眠る。それはどれほど私たちのあっという間の人生に似ていることだろうか!


*1 「ゴダール全評論・全発言Ⅰ 1950-1967」奥村昭夫訳

*2 「ジーン・セバーグ」 ギャリー・マッギー著 石崎一樹訳

*3 「Mille vies valent mieux qu'une」 Jean-Paul Belmondo



文:宮代大嗣(maplecat-eve)

映画批評。「レオス・カラックス 映画を彷徨うひと」、ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、リアルサウンド、装苑、otocoto、松本俊夫特集パンフレット等に論評を寄稿。



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