嵐のような2人
ベルモンドはゴダールとの再会を喜んだ。『勝手にしやがれ』でスターになったベルモンドにとって、『女は女である』への出演はゴダールへの友情と感謝の証だろう。エミールを演じたブリアリは、カイエ・デュ・シネマ時代からヌーヴェルヴァーグの面々とシネマテークに通うなど、行動を共にしていた。ブリアリの自伝には、この映画の撮影現場の雰囲気や、ゴダールとカリーナの「嵐のような」関係が愉快に綴られている。
「すぐに2人は仕事と私生活の境界を曖昧にしてしまった。互いに傷つけ合い、怒鳴り合い、愛し合い、憎み合い、声を張り上げて言い争う…。撮影現場でも、私生活と同じくらい情熱的だったのだ! 彼女が去れば、彼が追いかける。私たちは待ち、2人が戻ってくる。時には展開についていくのが難しいほどだった。それが彼らの愛し方だったのだ。あの若く、朝日のように美しい少女が、私が敬愛し、畏敬の念を抱いていた、あの輝かしく、手の届かない存在である親愛なるゴダールに、極めて生々しい言葉を浴びせかけるのを耳にして、私は時々驚かされた。」*2
ベルモンドとブリアリは、撮影現場でカリーナの“添え物”のように扱われたことについて抗議している。「私たちは家具ではないし、セットの一部でもない」と。翌日、ゴダールは花束を2人に渡している。しかし完成された作品を見たベルモンドとブリアリは、ほぼ同じ感想を抱いている。“アンナ・カリーナへの愛の詩”であると。ブリアリは自伝に次のように綴っている。「ジャン=ポールと私は、あれほど心打たれるダンサーを支える2人を務められたことを、心から喜んでいた」。

『女は女である 4K修復版』(c) 1961 STUDIOCANAL - Euro International Films,S.p.A.
『女は女である』の主演は、構想段階ではカリーナではなかった。ゴダールがブリアリに話を持ち掛けたときは、主演はブリジット・バルドーの予定であり、その後、マリナ・ヴラディや、ゴダールがこよなく愛していたジョーン・コリンズが候補に挙がっていた。しかし、カリーナが主演を務めたミシェル・ドヴィルによる『今夜じゃなきゃダメ』(61)のラッシュ映像を見たゴダールは、すぐに意見を変える。この作品のカリーナは、可憐な獰猛さとでもいうべき、圧倒的な身のこなしでダンスを踊っている。おそらくゴダールはドヴィルに嫉妬したのではないだろうか(撮影現場にも付いていったという)。自分のほうがカリーナを上手く撮れると。ゴダールは『女は女である』を撮影するにあたり、メイクが好きなカリーナのために、専属のメイクアップ・アーティストを付けることまで許している(ジャッキー・レイナル。彼女もまた映画作家になる)。
そしてミシェル・ルグランの音楽が響く。ルグランのアイデアは、映画のあらゆる場面に音楽を忍ばせることだった。「アンナが通りを歩いているときは、まるで踊っているように」音楽を響かせるというルグランの構想は、偶然にもカリーナがデンマーク時代に短編映画のオーディションに合格した理由と一致している。おそらくルグランは、カリーナの歩き方にダンスを見たのだろう。ここでもカリーナは、歌が大好きだった少女時代との再会を果たしたことになる。