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『星の時』80年代ブラジル映画の傑作が未だ先鋭的な理由とは

『星の時』80年代ブラジル映画の傑作が未だ先鋭的な理由とは

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共感させてくれない主人公



 19歳のマカベーアは、読み書きや常識を身につけることもままならないまま、試用期間中のタイピストとして小さな会社で働き始めたところだ。素敵な恋愛をすることや映画スターになることを夢見る彼女は、反対に周囲から軽視され、魅力も能力にも欠ける人物として見られている。評価されるのは若さだけである。


 まず気づかされるのは、このマカベーアが、安易に感情移入を許してくれないキャラクターであることだ。こうした貧しい主人公を映画が描くときは、同情的に表現することが定石である。何故なら、こうした人物に観客の心を寄せさせることによって物語の推進力を発生させなければ、観客をカタルシスへと導きにくいからだ。だから、観客が好きになれる要素をかなり意識的に作ることが求められることになる。優しさを見せたり、本当は何らかの才能があったり、裏で努力をしていたり…。ところがマカベーアには、そうした部分がほとんどない。



『星の時 4K』


 彼女は世間知らずで、現実の認識も弱い。自分の人生についても深く考えない。ラジオから流れてくる雑学を意味もよく分からないまま聞き、それを出会った男性に延々と話す。占い師(フェルナンダ・モンテネグロ)の言葉も簡単に信じてしまう。そのため、観客は彼女を「かわいそう」と思うことはできても、「この人が好きだ」、「この人の気持ちが分かる」という意識が芽生えにくい。共感したいのに、作品の側が簡単には共感させてくれないのである。


 同様に弱者として社会の片隅に生きる女性の姿を描いた、ダルデンヌ兄弟の『ロゼッタ』(99)と比べても、その方向性は特徴的だ。『ロゼッタ』も貧困層の若い女性を主人公にしているし、主人公を美化しているわけではない。ただしロゼッタには、共感したいと思わせる力がある。彼女は必死に生き、社会と戦おうとしている。その必死さが、観客の同情心を自然に引き出す。一方のマカベーアは、もっと受動的だ。彼女は自分の状況に対して怒ろうとしないし、社会に抵抗しようとしない。自分が不当に扱われているという認識すら希薄に見えるときがある。そして、むしろここに『星の時』の大胆さがある。




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