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『オデュッセイア』ノーラン作品のすべてが収束する地点、そして新たな出発点へ

photo by Melinda Sue Gordon © Universal Studios. All Rights Reserved.

『オデュッセイア』ノーラン作品のすべてが収束する地点、そして新たな出発点へ

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トロイの木馬をめぐる因縁



 そしてもうひとつの主題が、ノーランが本作で新たに当てた「贖罪」である。原典のオデュッセウスは狡知の英雄だが、ノーランはトロイア陥落の夜に“世界を焼いた男”として、欺き・暴力・禁忌の重さを背負い続ける存在へと再定義する。単眼の巨人キュクロプス(ビル・アーウィン)、魔女キルケ(サマンサ・モートン)、セイレーンの歌、海の女神カリュプソ(シャーリーズ・セロン)らがもたらす苦難や罠——これらの試練は、彼自身の罪責が形を変えて立ち現れる“影”として描かれる。贖罪こそが、ノーランが古代叙事詩に与えた新しい心臓部であり、彼のフィルモグラフィの倫理が最も深く結晶する地点である。


 その旅路の中で、ひときわ胸を打つのがエリオット・ペイジ演じるシノンの存在だ。トロイの木馬を成立させた若き兵士。オデュッセウスの策略の犠牲となり、馬に磔にされた男。本作のオープニングシーンに配された彼の死は、オデュッセウスの罪責の中心にある。だからこそ、帰還後にオデュッセウスが物乞いとして名乗る偽名が「シノン」であることは、物語の倫理的核心をなす。オデュッセウスはこう言う。「最も勇敢だった若者の名を借りた」。これは鎮魂の祈りであり、彼が背負うべき責任の象徴だ。



『オデュッセイア』photo by Melinda Sue Gordon © Universal Studios. All Rights Reserved.


 ノーランの自在な語りは、今回も多層的だ。過去・現在・未来が滑らかにシャッフルされ、瞬間が“地図”として再訪可能になる。『TENET テネット』(20)でノーラン監督と初タッグを組み、『オッペンハイマー』でアカデミー編集賞を受賞した新たな名手ジェニファー・レイムの編集は、時間を線ではなく空間として扱い、記憶が現在へ滑り込む。王子テレマコスが赤子だった頃のショットが、現在の流れにひゅっと挿入されるとき、観客は時制の混乱ではなく、思考の流動性を体験する。これは初期の『フォロウィング』(98)や『メメント』(00)から長年磨いてきた特異な時間操作――ノーラン流の時制建築の話法の成熟形だ。


 壮麗なスペクタクル映像は圧倒的な物質感で満ちている。海の匂い、血の凝固、花の香りまで触れられるような質感。アンドレイ・タルコフスキー『アンドレイ・ルブリョフ』(66)の泥と火、黒澤明『』(85)の風と旗、『アルゴ探検隊の大冒険』(63)や『タイタンの戦い』(81)など特撮技術の父レイ・ハリーハウゼンの怪物たち——それらの影響が、ノーランの映画術の上で融合する。ちなみにノーランは、結果的にウォルフガング・ペーターゼンが監督して散々な出来に終わった『トロイ』(04)の監督候補として短期間だけ関わった経験と因縁があるため、トロイの木馬の造形には並外れたこだわりと執念を見せた。モロッコのエッサウィラの海岸など幾つかのロケ地で使用するため、約35フィート(10メートル)の高さの木馬が複数制作された。巨大な木馬の重さ、次々と炎上する建物の陥落、荒れ狂う海面の実写。これは「映画の時間」に身を投じる歓びの極致だ。


 そして巨人キュクロプスが兵士を喰らうシーン。洞窟の闇の中で輪郭が崩れ、質量だけが迫ってくる巨人の姿は、スペインの画家フランシスコ・デ・ゴヤの黒い絵——《我が子を食らうサトゥルヌス》の“闇の中の巨大な異形”を連想させなくもない。ノーランの怪物はオデュッセウスの罪責の投影として現れる“実存的怪物”であり、その心理構造は黒い絵の狂気と響き合う。





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