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『赤い砂漠』揺れ動く色彩、モニカ・ヴィッティを讃える

(c) 1964 RTI

『赤い砂漠』揺れ動く色彩、モニカ・ヴィッティを讃える

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揺れ動く色彩



 「私はキャンバスに絵を描くように映画を描きたい。色の関係性を自ら発明したいのであり、自然の色だけを撮影することに自らを制限したくはないのだ。」(ミケランジェロ・アントニオーニ)*


 『赤い砂漠』には、SF映画的な造形やサスペンスホラーの要素がある。ジュリアーナは、自殺未遂といえる自動車事故の精神的な後遺症から立ち直れていない。工場の技師である夫は、ほとんど彼女のことを理解できていないように見える。映画の冒頭で、ジュリアーナは労働者の食べかけのパンを無理に買い取る。隠れるように草むらに向かい、パンを頬張る。彼女の周りには、廃棄物が煙をあげている(まるで事故現場の残骸だ)。遠くを見つめ、思い出したように言葉を発する夢遊病者のようなジュリアーナ。室内シーンにおけるジュリアーナは、何かにすがるように、救いを求めるように、または追いやられるように、部屋の壁際にいることが多い。壁が向こうから迫ってくるような感覚がある。ジュリアーナは、自分がいる環境に適応できていない。この映画の観客は、ジュリアーナの主観が描く空間と色彩を体験する。それは抽象画に似ている。壁はキャンバスとなり、ジュリアーナは色となる。



『赤い砂漠 4K修復版』(c) 1964 RTI


 ジュリアーナは、夫の紹介で企業家のコラド(リチャード・ハリス)と出会う。ジュリアーナの夫がコラドに工場を案内するシーンでは、人間が小さく見えるくらい、工場の途方もない大きさが目立っている。広大な工場の土地が凄まじい蒸気に覆われ、画面全体が白くなるシーンは圧巻だ。白い蒸気は、目の前のすべての情報を消し去る。同時に、映画の魔法でもある。ジュリアーナたちは、工場の蒸気と深い霧に呑み込まれそうな世界で日常を過ごしている。ジュリアーナの夫と小さな息子は、この環境にストレスを感じることなく適応しているように見える。コラドは適応障害の症状に苦しむジュリアーナに惹かれ、寄り添おうとする。

 

 『赤い砂漠』の背景には、“奇跡の経済”と呼ばれたイタリアの高度経済成長がある。しかし、ジャン=リュック・ゴダールによるインタビューでも語られているように、アントニオーニは工業化された世界を批判的に捉えているわけではない。バグった動きをするロボットは、小さな子供にとって「好ましいこと」である(ロボットの瞳が暗闇の中で不気味に輝いている)。この映画にはジャンク・アートのような趣がある。アントニオーニは、廃棄物や瓦礫の山、錆びついた鉄の形状と模様に、むしろ美しさを見出している。そこには毒性が潜んでいる。ジュリアーナの心はこの毒に蝕まれている。ジュリアーナは窓の外を見つめる。窓のフレームで切り取られた景色の中を、巨大な貨物船がゆっくりと通り過ぎていく。このショットには、彼女の心が何かに侵食されている様を観察しているような感覚がある。





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