2026.09.30
私たちの時代の悪の華
ヴィオレットは嘘を重ねる。父親の財布から金銭を盗もうとするところを母親に発見される。財布からお札が落ちそうだったと言い訳するヴィオレットを、母親はあきらかに疑っている。疑ってはいるものの、その場をやり過ごしてしまう。ヴィオレットの嘘は、かなり子供っぽい。実際の調査によると、ヴィオレットとカルチエ・ラタンで出会った男性たちは、上流階級の女性だと偽る彼女の嘘を見抜いていたという。ヴィオレットの事件は、周囲の人たちが彼女の嘘に気付かないフリをしていたことの積み重ねが招いた事件ともいえる。映画には描かれていないが、二度目の犯行の直前に、父親は自分の財布からお金が抜かれていることに気付いていた。
『ヴィオレット・ノジエール』は、あらゆる仮説=可能性を物語の進行と並走させている。それはシャブロルが作った仮説ではなく、実際の証言や調査に基づいている。この事件は謎に包まれたままになっているデリケートな部分が多い。ヴィオレットへの近親相姦が、司法上は断定に至らなかったように、断定して裁いてしまうことは名誉の問題に関わる。この事件を扱った映画を撮ること自体がリスクであり、シャブロルと脚本家のオディール・バルスキはかなり慎重に、バランス感覚だけは失わないように、並外れた知性で取り組んでいる。映画の完成後、この作品はヴィオレットの遺族に公開中止を求める訴えを起こされている。シャブロルは遺族の子供たちを試写会に招き、全員の理解を得ることに成功する。ヴィオレットの子供たちは、知らない女性の物語であるかのようにこの映画を見たという。それはシャブロルのチームの知性が成功している証ともいえる。

『ヴィオレット・ノジエール』© 1977 – Filmel Production / Edition René Chateau.
真実によく似た嘘。嘘によく似た真実。それは、この映画の仮説の散りばめ方、フラッシュバックの使い方と関わっている。シャブロルは、最初に送られてきたフラッシュバックを多用する脚本を、「無価値」だと却下している。そこでTV作品で一度組んだことのある、女性の脚本家バルスキを招く(それまで組んできた脚本家は、ヌーヴェルヴァーグの“悪の華”と言われたポール・ジェゴフである)。シャブロル映画におけるヒロインが、オードランからユペールに世代交代したことを含め、『ヴィオレット・ノジエール』という作品は、シャブロルが新たな創作のフェーズに入ったことを高らかに宣言する代表作だ。ヴィオレットという少女は、透明であるがゆえに不透明な存在である。シャブロルは、ヴィオレットのイメージを不鮮明な肖像として描いていく。
ヴィオレット・ノジエール事件に関するSarah MazaとAnne-Emmanuelle Demartiniによる、それぞれの研究本を読むと、シャブロルが実際の捜査に基づき、逸脱を避け、慎重にこの作品に取り組んだことがよく分かる。前者は社会学的なアプローチで事件に迫り、後者は主にマスコミや大衆が作り出すイメージの問題として事件に迫っている。それぞれに傑出した書籍だ。『ヴィオレット・ノジエール』のフラッシュバックは、この事件を取り巻く当時の様々な報道や、“二次創作”と関わっている。幼いヴィオレットが機関車を運転する父親に旗を振るシーンは、報じられた証言の一つである。ヴィオレットに無償で金銭を与えていた初老の男性エミールを、彼女の本当の父親として描くのは、当時報道された仮説に基づいている(エミールという初老のブルジョワ男性の存在は、実在したのかを含め特定されていない。直接的に事件に関係ないためか、情報が守られている)。小さなヴィオレットが父親の膝に乗って揺りかごのように揺れる、間接的に近親相姦を想起させるイメージは、ルネ・マグリットによる挿絵を基にしている(もっとも、マグリットの絵では父親が少女のスカートの中に手を入れているのだが)。そしてヴィオレットについての歌が流行する。「若者の逆説的なミューズ」。「私たちの時代の悪の華」。人々の想像力が、ヴィオレットのイメージを形作っていく。