2026.09.30
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はじめは“ありふれた事件”のはずだった
1933年の8月、マダガスカル通りのアパルトマン。18歳のヴィオレット・ノジエールが、両親を毒殺する計画を実行する。ヴィオレットの事件が特異なのは、これが二度目の犯行であることだ。最初の犯行は未遂に終わっている。二度目の犯行で父親が亡くなる。薬のあまりの不味さに半分の量を吐き捨てた母親は、意識を失うものの、なんとか一命を取りとめる。ヴィオレットは両親の貯金を奪い、ヴァンセンヌの森を彷徨う。翌日、犯行現場に戻った少女は、両親の自殺を装うために部屋中にガスを充満させる。ヴィオレットは助けを求め、隣人が警察に通報する。
担当の刑事が語っているように、「当初、この事件に謎などなかった」。金銭目的の、ありふれた凶悪事件のはずだった。しかし捜査が進み、ヴィオレットという少女の素行や二面性、詳細が報道されるにつれ、ファー付きの黒いコートを纏った少女の、“ヴァンプ”なイメージがマスコミを賑わせる。ヴィオレットは、入院中の母親との面会を拒否して逃亡する。セーヌ川に身を投げたという憶測が流れる。多数の目撃情報が寄せられるが、流行のファッションを追いかけていたヴィオレットとよく似た服装をした女性は、当時のパリにたくさんいた。逃亡中のヴィオレットは、自分のことを報道する新聞を手にしていた。この事件は、写真技術の普及による報道の急速な発展と密接につながっている。ヴィオレットは、公園にいるところを逮捕されている。“アマチュア探偵ごっこ”をすることに乗り気な、若い貴族の男性による通報だった。男性はクリスティーヌと名乗る女性を、ヴィオレットだと疑う。デートの約束を装い、ヴィオレットを騙す(騎士道精神に反する行為だと批判されることになる)。

『ヴィオレット・ノジエール』© 1977 – Filmel Production / Edition René Chateau.
逮捕されたヴィオレットは、衝撃の告白をする。この事件の最大の争点となる告発である。12歳の頃から父親にレイプされていたと。殺人の最大の動機は、愛する人との結婚を妨げる父親への復讐だったと。ヴィオレットの告発は、現代でいう“#MeToo運動”を引き起こす。同じ苦しみを共有する女性たちの手紙が、裁判官に送られる。アンドレ・ブルトンをはじめとするシュルレアリストたちは、ヴィオレットを哀れみ、支持する。しかしヴィオレットがかなりの虚言癖であることは、身の回りにいた人たちの証言で明らかになっており、それは彼女に不利に働いてしまう。さらに、父親のバティストは“模範的な労働者”、“よき父親”と評され、悪い噂のない人物だった。生き残った母親は、娘を徹底的に批難する。母親を殺すつもりはなかったと、娘は証言する(ヴィオレットは一貫して母親への愛を語っている)。この少女は嘘をついているのか?自己保身のために、父親を“二度”殺したのか?ルイ=フェルディナン・セリーヌは、この作家らしい強烈な皮肉を込めた攻撃的な文章を残している。「(ヴィオレットは)“善良な人々”を浮き彫りにした」。「“ノジエールは優秀な機関士だったから、娘と関係を持つような人間ではない”と信じる鉄道員たちを、私は称賛する」。