『リンカーン』へと続く航路
劇中、アダムズは新聞記者で奴隷解放論者のジョッドソン(モーガン・フリーマン)にこう助言する。「法廷では、よい物語を語る者が勝つ」。一見すると老練な弁護士の処世訓にすぎないが、この一言こそが本作を読み解く鍵だ。『アミスタッド』とは、誰がどんな物語を語り、その物語がいかに世界を動かすのかをめぐる映画なのである。
事実、法廷で自らの物語を語るのは、弁護士ではなくシンケ本人だ。それどころか、アダムズの弁論を最後に支えるのも彼の言葉。最高裁を目前に控え、シンケはアダムズにこう語る。「過去に呼びかけます。この世の始まった過去に。そして祖先に助けを求めます。彼らの力をもらいます。彼らは来ます。今の私のために彼らは存在したのです」。
アダムズは、この教えを法廷で実践してみせる。ジェファーソン、フランクリン、ワシントン、そして父ジョン・アダムズ。自らの祖先である建国の父たちの名を、一人ずつ呼び起こしていくのだ。シンケから受け取ったその身振りによって、アフリカの思想がアメリカの法の言葉を内側から書き換えていく。
アダムズの弁論は、さらにその先へ踏み込む。正しいことを成すためなら、たとえそれが内戦を意味しようとも受けて立つ、と。フランゾーニもまた、「重要なのは、彼が『この裁判に勝てば南北戦争を引き起こしかねない』と理解していた点です」(*6)と強調している。

『アミスタッド』(c)Photofest / Getty Images
この一本を起点に、スピルバーグの「言葉の映画」の系譜が始まる。『ミュンヘン』(05)、『リンカーン』(12)、『ブリッジ・オブ・スパイ』(15)、『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』(17)。なかでも『リンカーン』は、アダムズが予言したその内戦のさなかを舞台にした作品だ。
南北戦争末期、奴隷制廃止を定める憲法修正第13条を成立させるため、リンカーン(ダニエル・デイ=ルイス)は議員一人ひとりを説き伏せ、一票ずつ積み上げていく。戦場の銃声はほとんど鳴らない。あるのは演説と交渉、そしてリンカーンがぼそぼそ呟く小話だけ。それでも映画は、息詰まるサスペンスとして成立してしまう。まさに、優れた物語を語った者が勝つ映画だ。アダムズが法廷で予言した戦争を、スピルバーグは15年後に自らの手で描き切る。『アミスタッド』で試みたことが、『リンカーン』で完成したのだ。
言葉の映画を重ねた果てに、彼は『フェイブルマンズ』にたどり着く。映像で他人を傷つけてしまった若き日の記憶を、スピルバーグは隠すことなくスクリーンに差し出した。誰が、誰のために、どのように語るのか。その問いを『アミスタッド』で映画の内側に招き入れたからこそ、四半世紀後、自らの魔術そのものを語る作品が撮れたのではないか。
シンケたちは鎖を断ち切り、見知らぬ海へと漕ぎ出した。スピルバーグもまた、映像の魔術師という自らの鎖を断ち切り、言葉という見知らぬ海へと漕ぎ出した。その航路は、ときに揺れていたかもしれない。だが、この船がのちにどこへたどり着いたかを知る我々にとって、『アミスタッド』は偉大な航海の始まりにほかならない。
(*1)https://www.spokesman.com/stories/1997/dec/09/making-of-amistad-debbie-allen-teams-up-with/
(*2)(*3)https://www.youtube.com/watch?v=eZbHml-4Pvk
(*4)https://www.latimes.com/archives/la-xpm-1997-03-28-ca-42797-story.html
(*5)(*6)https://www.youtube.com/watch?v=KfkrNBRpMQ0
文:竹島ルイ
映画・音楽・TVを主戦場とする、ポップカルチャー系ライター。WEBマガジン「POP MASTER」(http://popmaster.jp/)主宰。
(c)Photofest / Getty Images