まぎれもない“ザック・クレッガー映画”
実際、劇中のブライアンは驚くほど子どもっぽい。パニックシーンでは、まさにケビンばりに情けなく取り乱す。屋上からダイブしてくる感染者の群れを駆け抜けたあと、彼は危険が去ったことにも気づかず、赤ん坊のように金切り声を上げ続けていた。しかもこの悲鳴、撮影現場で録ったものではなく、編集段階でわざわざ探し出してハメ込んだテイク(*6)。作り手は確信犯的に、主人公を“赤ちゃんの声”へと押し戻しているのだ。
カラダは否応なく作り変えられていくのに、声は赤ん坊へと逆戻りしていく。父親になろうとする男と、子どものままの男がひとつのカラダの中でせめぎ合うとは、まさにこういうことだ。

『バイオハザード』
荷物を抱えて、ひとりで目的地まで届ける。考えてみれば、このミッション自体が子どもの通過儀礼そのもの。これは、ラクーンシティを舞台にした地獄の「はじめてのおつかい」でもある。
しかも、そのおつかいの行き先は病院。英語のdeliveryには、「配達」と「出産」というふたつの意味がある。子どものままの男が、ひとつの命を抱えて病院を目指す。そう、この映画は最初から最後まで、病院へのデリバリーの物語なのだ。そしてこのダブルミーニングは、終盤、思いもよらないカタチで回収されることになる。
結局のところ、「原作に忠実かどうか」という問いは、この映画の前ではあまり意味をなさない。クレッガーがスクリーンに持ち込んだのは、レオンでもアリスでもなく、父親になりきれない、ごく普通の男の不安だった。巨大フランチャイズの看板を背負いながら、ここまで作家の主題を貫き通した作品は珍しい。
『バーバリアン』、『WEAPONS/ウェポンズ』、そして『バイオハザード』。家族という名の怪物を、外から内へと引きずり込んできたクレッガーのフィルモグラフィーは、本作でひとつの到達点を迎えた。これは“バイオハザード映画”である以前に、まぎれもなく“ザック・クレッガー映画”なのだ。
(*3)(*5)『バイオハザード』プレス資料
(*4)(*6)https://www.youtube.com/watch?v=S_oDmV2ibw0
文:竹島ルイ
映画・音楽・TVを主戦場とする、ポップカルチャー系ライター。WEBマガジン「POP MASTER」(http://popmaster.jp/)主宰。
『バイオハザード』
大ヒット上映中
配給:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント