2018.11.06
アジア系というルーツに対するチャガンティ監督のこだわり
彼らの狙いは見事に当たった。この映画は人種やカルチャーに関わらず幅広い層の観客を惹きつける求心力を持った存在となった。今やスクリーン・ライフが、世界中の誰でも理解可能なグローバル言語となっていることを見事に証明してみせたのである。
そこに輪をかけて面白さを加味するのが、本作の持つ“両極性”だろう。というのも、幅広い観客層に向けた訴求力を持ちながらも、その一方でチャガンティ監督は、自らの人種、あるいはアイデンティティといったものを意識して、映画作りにあたっているのだ。その証拠に、彼は主要キャストをジョン・チョーらアジア系の俳優で固めた理由について「自分が生まれ育った環境(アジア系のライフスタイル)に近いものにしたかった」と語っている。
“SEEDS”でもそうだったように、この若き監督は、テクノロジーによってなんでも無色透明化できる時代において、まず自らの立ち位置をしっかりと踏みしめることを忘れていない。これまで全くの別要素に思われてきた二つをダイナミックに掛け合わせ、新たな価値や魅力へと転じさせるところこそ彼の最大の持ち味と言えるのかもしれない。
8歳の頃に目にした雑誌の写真がもたらしたもの
締めくくりとして、幼少期の彼が「映画監督になりたい」という想いを初めて心に宿した時のエピソードを紹介しておきたい。
それは彼が8歳の頃のこと。かねてより母の影響で映画の魅力にハマっていたというチャガンティだが、まだ当時は映画監督という具体的な夢を持っているわけではなかった。そんな彼が運命的に目にしたのが「India West」という雑誌。その紙面には『シックス・センス』の公開を目前に控えたM・ナイト・シャマランの写真が載っていた。
撮影現場のカメラの前で指示を出すシャマランの写真を見て、少年は「この人、まるでボクみたいだ!」と感じたという。今耳にすると、未来の予見のようにも聴こえてくるこの言葉。そこからジワジワと沸き起こった彼の想いはやがて「映画好き」の枠を超え、「僕にも映画が作れるかも!」という強い衝動へと変わっていったのだそうだ。
思えば、M・ナイト・シャマランはミステリーやサスペンスといったジャンルで人種の壁を超えてきた異才。彼の切り開いた境地をチャガンティが受け継いでいるのは明らかだが、すでに論じてきたように、この若き才能は決してそれだけにとどまらない。さらに一周して、自らのアイデンティティを抱きしめ、それを土台としたストーリーテリングによって全世界の人々を魅了する力を持っている。
インド系アメリカ人としての生まれ。母親との映画鑑賞。シャマランの写真との出会い。南カリフォルニア大での学び。オハニアンとの出会い。Googleでの研鑽。ベクマンベトフとの出会い。初監督への挑戦・・・。おそらく全ての運命は繋がっていて、チャガンティはその一切を無駄にすることなく最大限に生かしながら自らのキャリアを構築してきた。そこに気持ちのいいほどのポジティブな力を感じるのは私だけではないはず。
かつて“SEEDS”で運んだ封筒が一つの希望であり喜びであり未来でもあったように、チャガンティの存在は新たな映画の可能性を照らす一つの光となることだろう。同時代を生きる映画ファンとして彼の描く軌跡をしっかりと見守っていきたいものだ。
参考)
http://www.vulture.com/2018/09/aneesh-chaganty-on-searching-starring-john-cho.html
https://variety.com/2018/film/news/searching-aneesh-chaganty-john-cho-1202914327/
https://www.wired.com/story/searching-movie-process/
1977年、長崎出身。3歳の頃、父親と『スーパーマンⅡ』を観たのをきっかけに映画の魅力に取り憑かれる。明治大学を卒業後、映画放送専門チャンネル勤務を経て、映画ライターへ転身。現在、映画.com、EYESCREAM、リアルサウンド映画部などで執筆する他、マスコミ用プレスや劇場用プログラムへの寄稿も行っている。
『search/サーチ』
2018年10/26 全国ロードショー
公式サイト:http://www.search-movie.jp/
※2018年11月記事掲載時の情報です。