『ターミネーター』のヒットにより予算が倍に!
ニューマイヤーは『レポ・マン』(84)の原案を勝手にパクられて仲違いするまで、当時親友だったアレックス・コックス監督に『ロボコップ』の話を相談。そこでマイケル・マイナーを紹介され意気投合したことから、二人共同で『ロボコップ』の脚本を幾度も書き直しながら完成させていく、映画界の藤子不二雄モードへ突入。ニューマイヤーはSF好きだったことから、サイボーグが悪党と戦って活躍する近未来の話をイメージし、マイナーは、銃撃にも耐えられる武装したロボット警官というアイデアを閃くこととなる。
『ロボコップ』© Photofest / Getty Images
ホラーとコメディを得意とするプロデューサーのデイビソンと接点のあったマイナーは、彼に『ロボコップ』を映画化したいと相談すると、デイビソンは前のめりになるほど関心を抱き、これを実現させるべくプロデュースを引き受けることになった。 筆者は以前、デイビソンから個人的に話を伺ったことがあるのだが、その際に「マイナーから渡された『ロボコップ』の脚本を読んだ時に、DCコミックやマーベルなどのアメリカとは違った日本のヒーロー文化を取り入れたら、間違いなくヒットすると確信したんだ」と語っていた。
最終的にヴァーホーヴェン監督で決定するまで舞台裏は紆余曲折しており、最初は脚本を担当したマイナーが『ロボコップ』を演出することで内定。監督も決まっていない状態で営業売り込みをかけることにしたデイビソン、大手メジャースタジオ全てに『ロボコップ』の脚本を持ち込むも、相手にしてくれたのはオライオン・ピクチャーズだけだった。デイビソンはB級映画界の帝王ロジャー・コーマンの元で映画製作のノウハウを学ぶんでおり、メジャースタジオ側からすると『ロボコップ』なる変化球もない直球タイトルでは、当然相手してくれるはずもない。しかし、オライオン・ピクチャーズは、同じくロジャー・コーマン門下生だったジェームズ・キャメロンが、1984年公開の『ターミネーター』を大ヒットさせた直後だったこともあり、デイビソンの熱意を受け入れることになったのだ。
デイビソンは言う。「ロジャー・コーマンの元で同僚だったキャメロンが、オライオンで『ターミネーター』をヒットさせてくれなかったら、『ロボコップ』が作られることはなかった。そして『ターミネーター』が超低予算で撮られてスタジオ側を儲けさせたのが功を奏し、我々はその倍近くの予算までなら捻出できる 幹部たちに言われ『ターミネーター』が2本作れる程度の費用が得られたんだ」
前述に戻るが脚本を担当していたマイナーを監督に選出したのはオライオン・ピクチャーズからのリクエストだった。マイナーは自主映画や短編を撮ったり、自分自身でカメラを回していた実績があったことでチャンスを与えられる。その背景にはオライオン・ピクチャーズの重役たちの投げやりさもあったと言う。『ロボコップ』はロジャー・コーマンが指揮するニュー・ワールド・ピクチャーズみたいな、10本に1本ヒットするような恐ろしくつまらないB級映画になるだろうと、そもそも最初からヒットを望んでいなかったのだ。ニューマイヤーとマイナーの二人が、その重役たちの態度を『ロボコップ』に登場するオムニ社役員たちへ反映させていると考えたら、皮肉めいて面白い。