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『ロボコップ』を大成功へ導いた影の立役者、製作総指揮ジョン・デイビソン情熱のエピソード

© Photofest / Getty Images

『ロボコップ』を大成功へ導いた影の立役者、製作総指揮ジョン・デイビソン情熱のエピソード

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プロデューサージョン・デイビソンの熱意が集めたスタッフ



  マイナーが監督することでオライオン・ピクチャーズから1300万ドルの予算を引っ張れたデイビソンだったが、メジャースタジオからマイナーに監督オファーの声がかかり『ロボコップ』から降板(だが、この別件のマイナーへの監督オファーは結局破談してしまい、マイナーは後年、エンパイヤ・ピクチャーズでB級映画『デッドリーウエポン』で商業映画監督デビューすることとなる)。『ロボコップ』に関心示してくれる監督がハリウッドで不在のため、『レポ・マン』をヒットさせたばかりのアレックス・コックス監督に依頼するも、彼にはすでに他の作品オファーが沢山舞い込んできており、さらにニューマイヤーとの仲違いも発生していたことから、断られてしまう。


  デイビソンはロジャー・コーマン門下生時代の友人らに当たるも、親友だったジョー・ダンテ監督だけが『ロボコップ』へ興味を抱いてくれた。が、ワーナーブラザースで大作映画を控えていたため、契約上他の仕事もできないことで断られてしまう。ダンテ監督からの助言で「デイビソンがプロデューサーを兼任しつつ初監督してみるのもいいのではないか?」と相当ムチャぶりな提案をされるも、プロデュース業しかやる気のないデイビソンは監督探しの難航極まることに。


  1,300万ドルの予算を捻出してくれたオライオン・ピクチャーズの役員バーバラ・ボイルに監督探しの難航を伝えると「オランダで勢いのある監督がいる」と、ヴァーホーヴェン監督を紹介される。デイビソンは『ロボコップ』の脚本を何度も送り付けるが、ヴァーホーヴェンには少しも興味を抱いて貰えなかった。そこでデイビソンは米国文化の風刺などをシニカルに描くアイデアを提案、それらを盛り込ませた改訂4項目が送られたところで、デイビソンの熱意とヴァーホーヴェンの奥方からの後押しもあり、ヴァーホーヴェンは、ようやく監督を受託することとなった。


 監督が決定したので次はスタッフ探し。低予算で引き受けてくれる面々と言えばロジャー・コーマン門下生……というか、ニュー・ワールド・ピクチャーズの作品に関わったことのある面々であれば『ロボコップ』に対し理解を示してくれるだろうと画策。そこで1978年公開の『ピラニア』で一緒だったスタッフに声をかける。ロボコップのスーツ作成と特殊メイクには、若かりし頃から天才肌と見抜いていたロブ・ボッティン、同じくレイ・ハリーハウゼンに匹敵するほどのストップモーションの腕前を誇るフィル・ティペットを招聘。ティペットの方は敵ロボットED-209のデザインが無駄なく決まるものの、肝心なロボスーツをクリエイトしなくてはならないボッティンは悩まされることとなる。



『ロボコップ』© Photofest / Getty Images


  クリーチャーデザインは得意としていたが、このようなヒーローとして扱われるキャラクターのスーツは未知の領域で、原作コミックの『ジャッジ・ドレッド』 やマーベルの『ロム スペースナイト』を完全模倣したデザインを起こし、ヴァーホーヴェン監督から何度もダメ出しを食らって、いつまでも撮影に入れない現場の空気を凍り付かせたそうな。


 ちなみに、ロボコップが深夜に初出勤した際、小さな酒屋で強盗を退治した時の店内に『ロム スペースナイト』のコミックがさりげなく陳列されている。それがロボスーツのデザイン原型でもあったので、スタッフたちのオマージュだった模様だ。


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