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岩井俊二監督の初期代表作『スワロウテイル』をいま観るべき理由とは

岩井俊二監督の初期代表作『スワロウテイル』をいま観るべき理由とは


群像劇と成長譚の両翼



 CHARAが演じる円盗のグリコは上海出身の娼婦。同じく円盗の娼婦だった母親を殺された名前のない少女(伊藤歩)を、グリコが引き取り「アゲハ」と名付ける。グリコと恋仲のフェイホン(三上博史)は、ある事件を契機に得た大金を元手にライブハウス「YEN TOWN CLUB」を開業し、そこでグリコに歌わせる。映画は基本的にこの3人の視点で語られるが、なんでも屋の店主で凄腕スナイパーの顔も持つラン(渡部篤郎)や、円都の裏社会の若きボス的存在リョウ・リャンキ(江口洋介)の視点で描くシーンも挿入される。つまり、全体として群像劇の体裁をとっていることになる。




 主だった出来事はグリコとフェイホンを中心に展開していくが、それを間近で目撃するアゲハの成長もまた、ストーリーを推進させる大きな力になっている。彼女の成長に関して、原作小説と映画で見逃せない違いがある。グリコの胸元にあるアゲハチョウのタトゥーを初めて目にした少女が、「アゲハ」と名付けられることになる場面。小説でグリコが少女の胸にマジックで描くのは蝶の絵だが、映画で描かれるのは蝶の幼虫=イモムシだ。岩井監督はなぜこの改変を行ったのか?(ちなみにアゲハチョウは英語でswallowtail butterflyと言い、タイトルはここから来ている。)


 アゲハの視点で映画を俯瞰すると、冒頭とラスト近くを、彼女の庇護者的存在の「葬儀」がブックエンドのように本編を挟み込む構成になっている。これらをアゲハの成長の始点と終点と位置づけると、完全変態する昆虫の代表格である蝶の成長過程と絶妙にリンクすることが明らかになる。




 冒頭、安置所で母親の遺体と対面した少女にはまだ名前がなく、いわば「卵」の状態だ。グリコから名付けられアイデンティティーを得たアゲハは、マジックで描かれた絵の通り、ここでようやく孵化(ふか)して「幼虫」になる。


 ドラッグを打って昏倒してから、阿片街の医者(ミッキー・カーチス)にタトゥーを彫ってもらうまでは、長い「サナギ」の期間。幼虫時代の「古い皮」を脱いで裸になること、タトゥーという形で別の生き物を受け入れることが、眠ったように見えるサナギの中で異なる姿の成虫に生まれ変わる準備をしている状態と重なる。


 アゲハは終盤、YEN TOWN CLUBの再建を目指して荒稼ぎするが、それは彼女を守ってくれる人たちとの居場所を願う未熟な夢だ。庇護者の一人が死んで、はかない夢がついえた時、ようやくアゲハは自分の羽ではばたくしかないことを悟る。遺体を焼く火に札束を投げ入れるのは、大切な人たちの人生を狂わせた金への怒りを表すと同時に、自分は金にとらわれない生き方を模索するという彼女の決意表明でもあった。ここで初めて、アゲハは大人として自立する覚悟ができたのだ。




 岩井監督は小説の要素を映像化する過程で、マジックで描いた「タトゥー」がアゲハの幼さを象徴し将来の変化を示唆する記号になると気づいたのだろう。映画において、少女の胸に成虫の蝶ではなく幼虫のイモムシが描かれたのは必然だった。



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