(c) 1977 Rapid Film GMBH - Terra Filmkunst Gmbh - STUDIOCANAL FILMS Ltd
『戦争のはらわた』巨匠サム・ペキンパーが『スーパーマン』『キングコング』のオファーを蹴ってまで本作に身を投じた理由とは?
東部戦線の悲劇を描く『僕の村は戦場だった』 と『炎628』
ちなみに、『戦争のはらわた』でもう一つの重要な要素となるのが“少年兵”の存在だ。大人の兵士たちにまぎれて伝令や偵察などに奔走する彼ら。本作では主人公が敵の少年兵の命を助け、かすかな心の交流が芽生える場面が描かれる。いうまでもなく戦争は大人たちのみならず、こういった年端のいかない子供たちも犠牲にして飲み込んでいくもの。この少年の出現が私たちに、極限状況を理解する上での多角的な視座を与えてくれていることは間違いない。
第二次大戦の東部戦線を描いた戦争映画にはこういった少年兵の視点を盛り込んだものが多い。例えば、巨匠アンドレイ・タルコフスキーの初監督作『僕の村は戦場だった』もその一つ。
木漏れ日に満ちた森の中でカッコウが鳴く。母や妹と無邪気に戯れる、幸せに満ちた少年の表情――――タルコフスキーらしい詩的な映像美はすでにこの頃から健在だ。しかしその夢がふと覚めると、戦争の現実に直面せざるをえない少年兵の心情が切実なまでにせり出してくる。彼を安全な場所へ移送しようとする兵士たちの努力も印象的だが、それを凌駕するほどの強固な意志を持って危険な任務へ飛び込んでいく少年の姿に衝撃を受けずにいられない。
そしてもう一本、『炎628』という震撼作がある。ドイツ軍に占領された村の少年が、家族に反対されながらもパルチザンに参加。そこでの活動を続ける中で、生まれ育った故郷を焼かれ、あらゆる身内を殺され、周囲の村々も襲われ、自分自身も極限状況に陥るという地獄のような体験に身をさらす作品だ。レンタルDVDなどが存在しないので(それゆえ“幻の一本”と言われることも)、どうしても観たい方はセルDVDを購入するか、限られた店舗にてレンタルビデオを借りるくらいしか術がないわけだが、私はその昔にテレビ録画していたテープが実家から偶然見つかり、実に20年ぶりに紐解いて、改めて大きな衝撃を受けた。
こういった作品は観ていて辛くなることも多い。だが、それでもなお見続けてしまうのは作り手たちの「この物語を伝えなければ」という切実な使命感が溢れているからだ。「映画はエンターテインメント」とよく言われるが、『僕の村は戦場だった』や『炎628』といった作品に触れると、むしろ映画の本質は「作り手と観客とが“想い”をやり取りする」ことにこそあるのだと理解できるはずだ。今も世界のどこかで起こっている戦争に想いを馳せ、また人類が歩んできた過ちを繰り返さないためにも、折を見てこれらの戦争映画の名作に触れて平和への思いを新たにしていきたいものである。
参考)
「サム・ペキンパー」(ガーナ・シモンズ著/遠藤壽美子・鈴木玲子訳/河出書房新社/1998)
1977年、長崎出身。3歳の頃、父親と『スーパーマンⅡ』を観たのをきっかけに映画の魅力に取り憑かれる。明治大学を卒業後、映画放送専門チャンネル勤務を経て、映画ライターへ転身。現在、映画.com、EYESCREAM、リアルサウンド映画部などで執筆する他、マスコミ用プレスや劇場用プログラムへの寄稿も行っている。
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※2017年9月記事掲載時の情報です。