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『戦争のはらわた』巨匠サム・ペキンパーが『スーパーマン』『キングコング』のオファーを蹴ってまで本作に身を投じた理由とは?
『戦争のはらわた』あらすじ
第二次大戦中、ドイツの敗色が見え始めた1943年、ロシア戦線。ドイツ軍の一中隊を舞台に、人間味ある伍長と冷徹な中隊長との確執、最高の名誉とされた“鉄十字章”をめぐるドロドロの人間模様を、ペキンパーが大迫力で撮り上げた大作。砲弾の飛び交う中、泥と血にまみれた人間たちが激しく殺し合う様は、歴代の戦争映画の中でも異彩を放っている。ラストの“笑い声”が強烈なインパクトを残す。
Index
バイオレンスの巨匠が人生で一度だけ挑んだ戦争映画
コッポラにとって『地獄の黙示録』、スピルバーグにとって『プライベート・ライアン』があるように、巨匠たちは人生の通過点でふと戦争映画の領域に足を踏み入れることがある。前者二人と違ってペキンパーは多感な青春期をミリタリー・アカデミーで過ごし、さらに第二次大戦がはじまると海兵隊へ入隊。戦闘行為に加わることはなかったものの、赴任先の中国では人が銃弾にあたって間近で死ぬのを目撃し、その光景は彼の脳裏に「最も長い数秒間」として刻まれたとも言われる(こういった経験が後の“スローモーション”の多様につながったのだろうか)。
そんな彼が除隊後、州立大学で演劇の魅力に目覚め、演劇専攻として南カリフォルニア大学の大学院にまで進むのだから、人生は何が起こるか分からない。さらには『ワイルド・バンチ』や『ゲッタウェイ』といった代表作を世に送り出した後、彼は70年代の後半、自分でも思いもよらないタイミングで再び「戦争」と向き合うことになる。そうやって撮られたのが、ドイツ人プロデューサーによって企画が持ちかけられた『戦争のはらわた』(原題:Cross of Iron)だ。
同時期、実に興味深いことにペキンパーは、他にも『キングコング』と『スーパーマン』の脚本を受け取ってオファーを受けるかどうかの検討を重ねていたそうだ。おそらくスタジオ側としては、これらの前代未聞の特撮プロジェクトを牽引できる人材として「いくつもの修羅場を切り抜けてきたペキンパーならば」と期待する部分があったのだろう。結果的に彼が下した結論は「NO」だったとはいえ、“バイオレンスの神”がこれらの脚本に目を通している姿を想像するだけでも、なんだかとても不思議な感じがする。
ではなぜ彼は『キングコング』や『スーパーマン』ではなく『戦争のはらわた』を選んだのか。理由としてペキンパーは「従来の戦争映画の型を破りたかった」と語るにとどまっているが、実際に作品を観れば彼の具体的な狙いは明白だ。
そこには一般的な戦争映画との大きな違いが二つある。一つは、通常ならば悪者に分類されがちなナチス・ドイツ側の視点で物語を描いている点。そしてもう一つは、上官に楯突いて我が道を行く一人の老軍曹の姿を描いている点。つまり彼は「安易な善悪二元論を否定する」、「極限状況の中で否定されがちな“個”の存在を、逆に徹底的に浮き彫りにする」という二点において本作を別格たらしめているのである。
これらの究極の目標へと達するために、ペキンパーはいつになく事前に大量の資料を読みあさり、現存する映像にも数多くあたり、自分なりに戦争についての理解を深めていった。そして当初の脚本に大幅な書き直しを命じ、未完の部分は役者とともにギリギリまで検討を重ね、半ば即興のような形で方向性をひねり出した場面も少なくなかったという。