十代の娼婦の複雑な内面をエル・ファニングが妙演
1983年パリ生まれのメラニー・ロランは16歳で女優デビュー。日本で注目されたきっかけはクエンティン・タランティーノ監督作『イングロリアス・バスターズ』(09)のショシャナ役で、クリストファー・プラマ―がアカデミー賞を受賞した『人生はビギナーズ』(10)などハリウッドでも活躍している。映画監督業にも意欲的で、ドキュメンタリー作品『TOMORROW パーマネントライフを探して』(15)ではセザール賞にも輝いた。そんなロランが監督として初めて英語圏の作品を手がけたのが『ガルヴェストン』だ。
『ガルヴェストン』の奇妙さは、ストーリーの九割以上が原作に忠実であり、大きな改変点は何もないにも関わらず、ピゾラットが脚本クレジットを拒否したことだ。その大きな理由になったと思われるのが、俳優たちとのコラボレーションを重視したロランの演出。ロランはベン・フォスター、エル・ファニングと一緒にキャラクターを掘り下げ、撮影現場で即興的にシーンを作ったり、脚本を改訂したりしたという。
『ガルヴェストン』(c)2018 EMERALD SHORES LLC –ALL RIGHTS RESERVED
ただしそんなことは多くの現場で起きることだし、前述したように完成した作品は原作に忠実で、ロランがフランスから連れてきた撮影監督アルノー・ポーティエによる映像も非常に美しい。では原作者ピゾラットが「これは自分の作品ではない」と言った最大の理由は何だったのか? ピゾラットが公式に名言していない以上、原作として比較して類推するしかないのだが、エル・ファニングが演じたロッキーというヒロイン像にその鍵があるように思える。
映画版の原作との最も大きな違いは、原作がハードボイルドの伝統に従い、あくまでもベン・フォスター演じる主人公ロイの視点で貫かれていることに対して、映画では、時折ロッキーしか知り得ない場面が挿入されることだ。ロイにとってのロッキーは、最初はやむを得ず道連れになった面倒なお荷物であり、(原作においては)性的な欲望を刺激する対象でもあり、次第に「彼女を守りたい」と願うかけがえのない存在になっていく。
ただしロイはロッキーを自分の尺度で見ているだけで、決して彼女を理解はしない。ロッキーの悲惨な境遇に同情はしても、星の数ほどいる「無教養なホワイトトラッシュの少女」というステレオタイプのひとりだと思っているのである。
『ガルヴェストン』(c)2018 EMERALD SHORES LLC –ALL RIGHTS RESERVED
おそらくロランは、ロッキーをロイが考えたような“分別のない10代の娼婦”として描くことを良しとしなかった。実際、映画オリジナルの要素のほとんどは、ストーリーを左右するのではなく、何気ない瞬間を捉えたものばかりだ。例えばロイのおかげで難を逃れたロッキーが、ひとりでシャワーを浴びながら泣くシーン。客を取るために着飾ったロッキーが、妹に自分はキレイかと訊くシーン。ロランはロッキーの持つ弱さ、葛藤、逞しさを、直截な打ち明け話などではなく、“ある光景”というビジュアルとして見せている。そしてロッキーに扮したエル・ファニングの多層的な演技が、ひとりの人間としてのロッキーを立体的に浮かび上がらせているのだ。